<923>

 何故が分からない。わたしはひといきに喋る。ただの振舞いが、わたしですら忘れていた時間をも含み、伝えている。

 ひとの言葉を喋っていた。遠くで陽(ヒ)が軋む。はやく音(おと)になれたらいいね、と言う、ひとは皆祈っている。

 「わたしは音(おと)ではないのか・・・」

 遠くで陽(ヒ)が軋む。ひたいは踊っていた。汗のゆくさき、ひたいは踊っていた。

 風は突然、わたしを言葉に直す。炎天下に笑むひとは、視野の中心点へ向かって小さく、小さくなっていた。ふところには不明のひとの棲む、優しさは前触れもなく目印を失って中空へ吹き上がってしまう。

 沸騰した湯の中へ静かに落ちてゆく呼気の惑う・・・、、呼気などは初めからなかった。呼気などは初めから懐かしいものとしてそのひとのうちにあった。水面はただ不安をしか表明しない。

 太い管のなかに水の通る、わたしは腹ばい、わたしは腹ばい。ひとは気持ちを、叫ばなければならない。ひとが気持ちであることを内外で確かめるために、ひとは気持ちを、叫ばなければならない。

 あたしが確かに空気を置くようにしたところへ、ひとは棲んでいる。いそいそと吸い始めている。陽(ヒ)、の眩しくなるそぶりが、あたしにはいちいち見えている。それはどこも気持ちいい。

 わたしを過ぎたものは、わたしの見えないところにとどまって、時折缶ジュースの蓋をあけて笑っている・・・。

<922>

 きれい。あなたの唱える。ひとは言葉に口をつける。おそらくはわずらわしさのなかだ。おそらくはわたしはわずらわしさのなかだ。ひとが水のために枯れている。ひとは枝葉に小さなニュアンスをもたす。

 ひくひくと笑う。ひくひくとわたしは笑う。空(そら)が一応は晴れているのと同じく、一音の漏れもなくゆくは、うわのそら、ひとりでひらいた。ものすごく分かれた時間がここに立ち現われていた。

 わたしは別の時間にひろがってしまったものにいちいちツバを湿す。風のゆきかたはじねんと明らかになる。あたしは新しく風を探す。

 ひとしきり舌を垂らしていた。あたしには雑音のなかの目、ただの目が見えている。それは牛の声をしていた。わたしは場所を失念した。わたしにはそれが牛のなかでの出来事に思えた。舌はひどく乾いていた。いきものは匂いのなかに消えた。わたしは会えた。たれかのうわさが肌に直に触れている。わたしは震えなければならなかった。蒸し暑い。

 おまえはいつ死ぬのかも分からないのか。おまえはいつ死ぬのかも分からないものの姿のなかへ、まるで無臭のなかへ隠れてしまったようだ。そこにわたしに、牛の目が必要になった。意識は遠のく。いや、見ていなかった。ただの匂いにあなたが立ち昇ってくるとも思えない。遠くで乾いた肉が踊った。ひとは息を吸った。わたしはと言えばかわいていた。

 しからびた(見た)わたしはただ雨水(うすい)の記憶のなかに留(とど)まるものだった。あなたは地面を叩いて、いながら響かない・・・。

 ひとは二種類の目を持った。牛の目と、牛の目とは呼べないもの。

 声を上げて駆け出す。わたしが言(こと)の漂いかたを知らないばっかりに。ひとは喉をひらいてしまっている。なにごとも捉える。その仕草にさわやかに酔(よ)っている。

 そとは暗かった。が、入口をいくつも見つめてはただからだのなかに何物もおらなくなったのを感じていた。いや、ひっくり返って眠っていたのだ。

 遠くに過ぎる。ひとは遠くに過ぎる。わたしが見つめていたものは誰かの目か。誰かが時間を忘れてただそこに顔を置いているだけになる、あのときの目か。

 わたしはあなたの不安ではなかった。どこへか音(おと)は揺らいでいく。日々は大音量をどこかに隠している。その目は探っていた。黒い黒い茂みのなかをまさぐってゆくとき、そのときと同じ姿で、同じ無感動で、同じ白さのなかで・・・。

 あるとき、わたしから大声の去っているのに気づく。ただもう広いというだけの場所へ大声は預けられてしまった。不可解なほどに晴れていた。大きな声を出す。誰かに似ている・・・。

 ひとは登る。あたしは足をほぐす。ひとは何かに連れられてゆく。わたしはただ足だけになる。名は初めてわたしを知った。わたしのトボけた姿が気にくわなかったとして、初めて名はわたしを知った。めったに起こることではない。

 不増の隅にわたしが立っていた。今、見つめていたことに気づき、さっと姿を隠したが、とてもとても、ばれないという訳(わけ)にいかない。

 無音声表情の涯てに、あなたがいた。声を容れるのではなく、あなたの表情に全てがかえされる。それから、微笑んでいた。あろうことか水の存在を忘れた。誰かが生きていた。誰かが訪ねていた。そこには十分な水があった。ひとりで舟を浮かべている。舟は優しかった・・・。

<921>

 やわらかい。細かい、息、の在り処。わたしが弾んだ。ひとは目を閉じ、歌っている・・・。

 華やぎの在り処。煙を吸い込んだこと。欠片に笑みの映る、私(わたし)は揺れる、わたしは移る、況は況のこと、呼気の太くなる、吸気は分からない、行方がわたしの表情の上に文字を書いている、鼻がかゆくなる・・・。

 ありふれた色(イロ)にひとりで飲まれ、てゆく。ここは色(イロ)に乗り、色(イロ)でまたカタカタと進んでゆく。

 放られ、また小さく眺め、適当なリズムを思い出し、リズムリズム、ゆるやかにあくび、ひとの顔を借りてあくび、模倣する風と、風と、風と・・・。

 いつの間にわたしの川は流れた。いつの間にわたしは川のなかを流れた。別天地はよく見たことのある、しかし道が分からない。わたしには道が分からない。しかし同じ動きのなかに棲んでいる。形は誰かの肩に手を添えている。音(おと)にされて初めて飛び上がる。溶けてなおよく見ている。

 こすり塗られたものはあんがい、しぶとくここへ残っていた。ひとは染みていた。消えてしまって分からなくなった。割れた、日の朝に、顔は静かに照っていた。なにかひとこえ、なにかひとこえ掛けるのがよいと知る頃に、ちょうどわたしは水を飲んでいるだろう。

 ひとは溺れる。ひとは川が分からないからだ。からだは溶けてしまった。わたしは白く小さな煙になってしまった。誰かが吸っている。別に他の場所という訳もないさ、と言いながら吸っている・・・。

<920>

 水は緊張していた。張りつめて一滴になった。あれは激しい音(おと)の鳴り・・・。微量の疑いで、水面はちらちらと揺れている。

 そっと手を差す。無理に濁っている。たれか瞳を逸らす。水は見ている・・・。

 さぁっと手の払うよう、跳躍は、細長い一本の糸となり、めまえを輝く、何度も思い出す、行方はあちこちであたたかな粒となり、のち見えなくなってしまう・・・。

 慎重に舞い、おそらく、おいかけっこに、ちらつく、水飲み場の、日を跨いだ姿、に触れる・・・。かげにまた呼吸をひらきあなたを招待する。

 「あなたのあいだを忙しなく行き来する線たちはなに?」

 と。ひとは応える。わたしは次々に点を生むと。いや、点が湧いてくるのを見ている、と。前面に出てすっかり見えなくなってしまうあなたの振舞いについて考えていた。わたしは線を引っ張った。

 「あなたのあいだを忙しなく行き来する線たちはなに?」

 つまりはわたしの惑いの跡だと、おそらく当人の一番ピンと来ていないこたえを引っ張り出していた。

 ひとは水のために揺れた。ひとくちの熱狂のなかに軽やかに飛び込み、おとのにごる。ひとは食らう。ひとはなにものも前提としていない。ひとは隠れもしないのに見えていない。

 わたしは声のなかで不在になり、また地面の気まぐれとともにあらわれる。からだはあなたを見ていず、あなたもからだを見ていない。ともに揺らぐ水面を掴まえている。

 ひとつのあたたかさの演技のなかで、わたしは服を誘う。わたしの言葉のなかに水が混ざってゆく・・・。

<919>

 まれな声の響いた。ひとは影に目を留めていた。ザウザウと、胸のうち、騒ぐ、声はあなたの方へ転んでいる・・・。

 日が差している。おそらくは何の激しさをも、感じさせない姿で。ただの紙が風に乗っている埃が舞っているあなたは控えめに光る真白な歯になっている・・・。

 ひび割れは陽(ヒ)のなかであっけらかんとしていた。草の匂いに目を合わし、口をゆすぐ。近しい声はぬるさのなかに渦を作っている・・・。

 ただ、わたしの、表情の意味を知らないときに、いきいきと滑るもの、人(ひと)の姿や、掛け声、無数の汗の記憶のなかに、ひょっこり顔を出すもの、と、ふたりで・・・。

 色(イロ)はほとんど眩しくなっている。色(イロ)の、静かに口を噤むのを見て、むなしく回転する舌の、ほとんどとりこになった。わたしは汗をかいた。明らかに熱のなかに棲んでいて、わたしを見つめている。

 小さく風が、肩口を吹き、鳥の記憶の目を覚ますとき、ただ呼吸のリズムを変えている。ひとは口笛を吹いている。わたしが話すとき、あなたは眠っている。

 あきらかなあなたのためいきのなかにいるとき、わたしは幸福だった。わたしは幸福だと思う癖はなかったが、ただの笑みのなかにいてもいいとそのときには思う(のだろう・・・)。

 わずらわしく震えて、ひとたびその肌になってわたしが走って、いつもそばでカタン、とぎこちなく話す姿に、徐々に似てきていてどこへ目を向けたらよいのかも分からなくなった。

 ひとは橙の隅へ立ち、目を向ける。どこへ繋がっているのかも分からない心細さのなかへゆっくりと手を寄せていた・・・。

<918>

 ある日を境に、形は急に約束の姿に似てくるのだった。約束の姿を借りてくるので。わたしはかすかな呼吸を感じ取っていた。

 あるいは、葉のなかで、鮮烈に一歩を刻むとき、もう空(そら)は待っていないと思える、あの感覚のなかへ、ひとりわたしは潜っていたのかもしれない。

 移りゆく木の、いまさらな願いを、地面にすぅと伸びしずやかにあらわしているところ、わたしは水を舐めた。ひたすらにヒ、はみずからを進行していた。わたしは水を舐めていた。

 薄らいでゆく、あるなんでもない記憶に、ヒは照り、真(マ)文字をゆるやかに白く浮かびあがらせるとき、あなたはかすかに息を立てて寝ている。記憶は透明な進路を辿り、静かにわたしを指差していた。晴れやかな笑顔のパチパチと散る・・・まばたきはひとりでに過去を思いやる。薄暗さは輝きとグレーになる。

 その切れはしを、糸っくずを、虚ろなちりがみを潜る、と決めた瞬間から、わたしは大小のめまぐるしい華やぎのなかへ在ることになった。たれか口笛を吹いた。時代は記憶のなかで容赦なく遊びまわっていた。

 見ると、また声を授ける。それは誰のにも似ていないのに、わたしには分かっていた、と言える。それはわたしの声だ。

 鳥は忙しなく、声のなかにコオロギを求め、かつ混ぜていた。じたばたする朝と一緒くたになって中空へ放られていた・・・。

<917>

 よっと。ほっ。もっとも、と、ふたつの会話デ、響き、ひろがり、不安定の、夜空。

 またあくがれた。わたしからは砕けた。ものトおんの差、ひとは触れる。ひとはシチジュ―たび触れていて、また安らぐ、揺らぐと揺らぐ。ひとはほろほろと流れる。

 いただきにおんが近い。びり、り、よく、漂う。確かに混ぜ、ひとはそばで鳴り、ひしゃげて告げる、ノ、さみしさは、またわずかに唱えている。窮屈に並んでいる。

 ものはサァ・・・と吹き、ひとミリの砂漠を捉え、順序よく染みていく、ノゥ、うたごえ。軽やか、は、みだり。いぶされたイとウのために舞う。無言でたたずむ。無言は華麗さをいざなう。

 buy‐買(カ)‐ウ‐得(ウ)‐ル‐は、わたし・・・。ひとは口をすぼめる・・・。みながひらく。はてはわたしの枝の、、まくろな響きを・・・。

 子が子らを駆けてゆく。ひとは記憶にただの走力を見る。目一杯のはやさに微笑みとくらんでゆく、水はほおを寄せ、必然に、小さな手をやる、ト、振るう。

 小声はひとりの声を目指し、街へ紛れてゆく、ト、あなたは目の意味を初めて知った人(ひと)の顔をした。わたしはひそかに照れていた。

 不都合は時計を合わせていた。このときわたしはどこかへ遅れていた。遅れているというのは奇妙に愉快でもあった。また訳(わけ)もなくズレている。それがトボけた調子でないことにとっくに気づいていてそれは、ひとつの目安にさえなっていた。

 回転が綺麗な意味を帯びた。その光に顔を当てていた・・・。