<1147>

 なんなむならむ、な、

 なそ、、

 むにゃらなむななむ、

 な、

 (七十五の眠り)

 (七十五の夜)

 

 おどろけおどろけ、

 ひとつの脳と、

 ひとつのお祭り、

 

 麻痺、ふいに目に入る信号と、

 当たり前の小枝、過ごしてきた色、

 

 はばかり、隠れ、、

 あと一息出だす。

 滲む紅茶、滲む環境。

 

 音の遠くなったところ

 陶器の蓋、

 カチ、、カチ、、

 

 わたしが知っているものとは違う。

 今日が。

 目の前の、憶えている道が。

 わたしの知っているものとはもう、少し違っている。

 

 鳩がひっくり返っている。

 街を言い、街を言う。

 

 やけに明るく、文字は映り、瞳は映り、

 たがいちがいの笑み、

 新しい人。

 

 新しい人の色幅。

 街と一緒に戸惑う。

 違っている今日を、

 まるごとあなたに渡し、

 ひとり俯向く。 小枝をひらう。

 

 残った声をさわるなど

 新しい湯気のなかに紛れともに歌うなど

 輝いた日の強さ、

 輝いた語りの陽の不明瞭さ、

 

 遮ると、カーテンと、声と、、

 断じて過ぎるもの。

 手と、手と、日常。

 

 いくつともなくこぼれ、

 匂いは立ったままの、

 上気して、

 ありさま、

 静かにひらいた穴に、

 彼と彼ら、 新しい人を、

 まるで懐かしい人らと、

 言葉を違(たが)えた人らとともに、その道

<1146>

 そっぽうへ、 爽やかな背を向け、

 からむ、ころむ、よろろぐ、

 まず羽根へ よろめきへ 歌へ、

 洋々 ひろびろ、 風は名前を過ぐ。

 ひとりで立っている。 あるいはわたしの後ろへも。

 あらわれあらわれ

 眺めやり、 やすらか

 

 うたんしょ

 遠々 かすみ、 やわらか、、

 かくあらわ、かく覗き、、

 見つむ見つむ

 

 ざわめきとざわめき

 日のなかへ、 ひらけていて、 どこへも通わない日のなかへ、

 一歩々々と、

 よろぶん ゆらゆら

 

 申し申し、あなたよ、

 かくあるごとのウし、 隙間、

 ばらばら、 スタッカート

 

 あいあってなんあいあってなむ、跳びはねる、

 やさしさ、

 少し過ぎたあと、、

 影と影と華やぐ

 まるわかりの手のひらから、

 あなたの角を曲ったところから、、

 

 とおせんぼうと飛躍

 隙間にいつもの声、

 緩まった道、 ひとつのラジオと、、

 回転する時日、

 

 あるかなきか、

 今はただもの珍しく、

 どこか不思議そうに、わたしを迎え、 

 すみやかに炎舞、 こたえていえる。

 

 あら、どうし、過去お出でなさい。

 わたしがすぐに着くから。

 わたしがすぐに身をそらせるから。

 

 停止ボタンと 鼻をかむ。

 風邪と コケた後、

 さわやか、

 毎時切なさと ほの明かり、

 あなたがふっと降り、

 並んで声をかけたあと、、

 3番線は音だけになる。

 

 なんただなん風、風、

 せわしなさと、

 いがぐり頭、、

 旅立つと声と眠となんなん、ぞろぞろ

<1145>

 見事にもらってしまう。

 

 軽やかにまた道をもらい、

 好きに浮かぶ。

 かつての名を通り、ひろやか。

 もののそばで、影のそばで、、

 中心もなくぼんやりとして。

 

 飽くまで全てを昨日にとっておき、、

 当たり前に眺む。

 明らかでない道も、

 昨日から知っていることとする。

 

 身体は芯を生み、

 あくまでふにゃふにゃにし、

 ひとり茶の中。

 

 茶は湯気の中。

 空気は今の中。

 身体はこことここを揺れに揺れ、

 濡れて眠る。

 

 本当がない時間。

 本当のように長い時間へ。

 考えることばかりで拡大する今日へ。

 今日の静かな音へ。

 

 大老人とわたし。

 時間のズレと雲。

 歓談と雨。

 夕べと店じまい。

 時折とわたし。

 頻繁と大老人。

 街角と流れる車。

 

 かくある優しさのなかでも一番色っぽいもの。

 道に赤く咲いていて嬉しいもの。

 また来たらいい、

 

 なにもかも長くなってなにもかもでたらめになって、

 緩やかで 夢で、

 ちょうど数えていた言葉にまた会って、

 少しお辞儀。

 その全てが流れでてゆく華やかで、

 また言葉とともに来たらいい。

 

 夕刻を少し過ぎて。

 今日も丁寧にしまって。

 少しく ぼんやりで、

 空気を吹くと、、

 昨日が立ち上がり少しの準備をする。

 もの珍しいものがなくとも、

 少しばかり準備をし、

 よろけて掬ってゆく少しの感興。

 

 きわだって華やかで、

 どこを眺めてもひろがっている色で

<1144>

 ひとりの人とひとりの人として、なんとか、あいだに約束事を挟まぬままに付き合いを続けられないものだろうか。

 社会的な約束事は抜きにして。

 ある程度以上親密になれば、社会的約束事を挟むようにそれとなく唆され、受け容れれば結果としてそのなかに閉じてしまい、周りは一歩遠慮するようになる、という流れがあまり好きではない。

 しかし、その社会的約束事が優位で、充分な力を持っていることを知っているから、社会的約束事だから当たり前だと思いつつ一歩引くひとたちと同じように、納得はゆかぬままに一歩下がる。

 どういった背景を持ち、付き合いを組んでいようとも、わたしと、あなたが会い、そこに親密さが生まれるか生まれないか、その結果がどういう行為として現れるかは、全く自由なことではないか、という疑問は、多分伝わらない。

 何故ならそれはルール違反だということに(驚くべきことだが)、本当になっているからだ(変だな)。

 わたしがあなたを好きであることは、関係を限定する作業とは別のものだと思うが、どうだろう。

 関係を限定する、という行いが、社会的約束事の本質、嬉しさ苦しさの全部である。

  関係をここだけに限定出来ている、よかった。

  関係を限定出来ていないのでは・・・。どうしよう・・・。

 というように。

 関係を限定しないのであれば、社会的約束事を行う必要がない。

 関係を限定したいと思う気持ちがなければ、社会的約束事には馴染めない。

 

 わたしは人のことが好きではないのだと思っていた。好きだという気持ちの延長した先、高じた先に社会的約束事があると当然のように思っていて、その、社会的約束事への思いが希薄であるのだから、出発点としての、好きだという気持ちも希薄なのだと思っていたのだ。

 しかし、関係を限定するというのは、好きだという気持ちと直接的には関係がない(間接的にはある。その気持ちを上手く利用するということ)。このことに気づき、

「誰かが好きだという訳ではないが、社会的約束事を行ってみたい」

「とりあえず関係を限定してみたら? 誰でもいいから」

といった表現がよく分かるようになった。

 関係を限定するという作業に、好きだという気持ちはあってもなくてもよい。

 横道に逸れるが、冷え切った関係にあると思われていた夫婦が、浮気などの問題で大騒動になり、

「やっぱりなんといっても夫婦だから愛し合っていたんだね」

などと評されることがある。

 それが全て間違いだとは思わないが、社会的約束事の本質が、関係の限定、相互拘束にあることを考え合わせると、その怒りの主な原因は、契約を破られたというところにあるのだと思う。しかも、相互拘束という、互いが我慢をし監視をする契約だから余計にタチが悪く、怒りはなかなか収まりにくいものになるのではないだろうか。

 また戻って・・・。わたしは、大層ひとが好きだ。他人と内心を較べることは出来ぬから分からないが、おそらく人一倍好きという気持ちが強いのだ、というように感じる。

 しかし、そこに関係を限定する云々の話が上ると、非常に暗く、沈んだ気持ちになってしまう。なんと重たい社会の前提であろうか。

 つまり、好きだという気持ちだけをそのままに持っている人間、わたしのような者は、厄介なやつだということになるのが想定される(関係の限定という作業に向かう姿勢を持つ、というのが、あまりにも当たり前のこととして多くの人に把握されているからだ)。

 そこで、わたしが何をするかと言えば、言葉を尽すことになるのだが、これによりまた一層嫌がられることになるだろう。

 なぜなら、言葉を尽くすまでもなく明らかである、ということに関係を限定するという行いの利点があるからだ。

 今われわれは社会的約束事を行っている、相互拘束という不快なものも背負った、言葉など尽さなくていい、あなたは遠慮して一歩下がりなさい、という訳だ。

 この約束事が優位で、当たり前の力を持ち続けている以上は、好きだという気持ちだけを抱え、自分の思うように勝手に動くのはわがままであり、迷惑である、ということになるだろう。

 であれば、一番は、関係の限定に自分も馴染むことであるが、関係を限定するという、ひとの気持ちだとか自由だとかを馬鹿にしているようなものにはどうも上手く馴染めないだろうと思う。

 誰かに会い、誰かと関係を楽しく取り結ぶ、という可能性を、(例え親密な間柄であったとしても)他の人間によって制限されるいわれはないはずで、こんな不健全なことをお互いに行使し合っていれば、関係自体が苦しくなるのも道理だろうと思う。

 わたしとあなたとの関係は、限定されなくともよいし、決まらなくともよいのだ。しかしそれでは常にコミュニケーションを取らなければならなくなる、言葉を尽していなければならなくなる。ただ、それこそが、ひとりの人とひとりの人が出会うということではないだろうか。

<1143>

 川は続き、平穏を取り戻した朝へ。

 待ち、待ち、暮らしている朝へ。

 あたらしくかぼそく道の、ふたりで映る姿。

 手招き、平穏に暮れる朝へ。

 ふとその流れの一端を、もの珍しく含むとき。

 葉の香りが隙間に揺れるとき。

 わたしはより一層の遠くを想おう。

 あらためて問うまでもない川中の朝に、

 ひとは呼吸を浸して、、

 

 あらたに沸いて出たことも知らず、

 すみやかに、繰り返し、、

 ちょうど気分の真ん中で、

 昨日の残りを確かめ得(エ)、

 柔らかく訪ねた時は長く。

 

 ある晴れた寒い日に、

 知らない名前が通り、、

 こんだまたどうしたわけかと思う、

 隙間の仕草で、

 大仰な回転の記憶のなかで、

 わたしの装いが大きくなっているのだ。

 としたら、どうしよう。

 相変わらず窓は語らない。

 窓は、ただ友人によって割られているように見える。

 温度が下がる。 激情が過ぎてゆく。

 かけるものがない。

 ひとり温度の旅へ付き合うことにしよう。

 バスが出る。 電車が出る。

 たまにはこの気分のままの飛行機も出る。

 

 動揺だ。いつまでも名前を大事に持っていて。

 眠る。 語り、語って、 紛れる。

 そのまま投げている。

 

 時々、どこまでも遠くへ走っていて、日のなかの意味を知らなくすることがある。

 わたしは日のなかに生まれた訳ではないと。

 余計な考えを起こさないでくれよと。

 しかし、堂々と回り、帰ってくる。

 

 日は、日のまま、そのまま静かに水に差し、過ぎていく。

 いつもの動揺のまま。

 いつもの過去のまま。

 分からずやの言葉がそっくりそのまま揺らぎかく。

 

 関係を定めぬ駅で、、

 ただ嬉しさと目、だけになり

 後はなにが続いてもよい、

 と、ひとりだけでなく思っていたかもしれない。

 たったいまのいまの別人に、

 昨日まであたりまえに会っていたつもりで、

 次にはまた言葉が出る。

<1142>

 この装いの もひとつ軽く、、

 彼方から流れてくる匂いの、

 もひとつ軽く、、

 空気に進んで、

 人を見て、夢を見て、、

 時折現実が嘘の装いをしても、

 軽々と歓喜の底へ舞い戻るように。

 気温は長く、感想は短い。

 明らかな根と声で、

 明らかな振舞いと目で、、

 直線距離を朗らかに伝うる。

 あなたは長い。

 あなたのその快活はこの先へも続く。

 一時発した声のつやかさ、

 ひとり静かに潜っていたときをつづめる嬉しさ、

 太陽は長い。

 欠片を嬉々としてひらう仕草、

 細やかさ、

 あっけない道。

 行き交う車、車に次ぐ車の音(ね)は現実を起こさせる。

 緑の装い。

 太陽のかわいた匂いにつられ、あの湾曲した記憶につられ、

 つらりつらりとあの道をゆくとき、

 だれとも知らず短い声を発している。

 歓声、歓喜、寂、、車、、。

 何ものよりも近く、過去よりも遠い人へ。

 歩行のひとつひとつに新たな装いを混ぜ、なんのきなしに、静かな声をかける。

 まるで異なった太陽。

 まるで異なった振舞い。

 優しい角度。

 ものみだれとぶ混乱のさなかにそのボロ布の上からひとり差すあなたを、、

 歩行の先駆者を、、

 燃え上がる眠りを、、

 一時この乱れた時間に適当に路傍を眺めやるわたしは、あなたの明かりの姿を見る。

 それも過去でなく、現在でもなく、

 燃え上がる明かりを、、

 車が過ぐ、、

 過去までは待っていられない、と、一言残して。

 あなたの力強さ。

 欠けてよし流れてよし、

 ひらう、ひらう、、続々、ざく、ざくと、

 このすずやかな場所の、数限りない巡りを堪能するわたしは、既に、欠片という欠片をひらう準備を済ませている。

 ですからあなたは軽々とここを舞い上がり、考えようのない時間が経った後でまたここに着地するもよい。

 お互いの角度を知らせて、、

 その華やかな香り、道ばた、、

 長い、長い、

 同時代人の太陽を香らせて・・・。

<1141>

 この小麦色にきらめく時間、、

 この小麦色にきらめく時間が、長い長い夢となりますように、

 長い長い、静かな笑みとなりますよう、、

 あたしはあたらしい陽をここに照らしてもらいました。

 数限りのない流れのなかでささやいて、

 ひとりで見て、

 歓喜の底にいましょうか、

 あたしはこの小麦色の時間をいつまでも憶えていたいのです。

 あたらしく、かぐわしく、、

 涙の底、凍った朝を通って、、

 あの先へ、いつまでもいつまでものび、

 巧みに憂いを含んだあの先へ、、

 あなたのあの言葉でもって、

 またひとつの回転に同じようにして戻るのです。

 時折浮かべたことのない笑みを浮かべつつ、

 あたしはあの道も、あの道も歩くのです。

 どんなにか悲しい、

 どんなにか涼しい、、

 どんなにか整然とある朝でしょう。

 空気の揺れる朝でしょう。

 全体、あなたの言葉の漂う朝でしょうか。

 その空は異なった場所で、異なった香りを放ち、、

 かぐわしく迎えましょうか、、

 あなたの後に続く音に、、

 言葉の挟まれる勢いのままに、

 軽やかに浮かみ、、

 かつての景色の先の先へ、、

 小麦色の夢を振り放ちましょうか・・・。

 全体わたしはこのすずやかな都市に、

 朝な夕な、身体ごと染(シ)みてき、

 色とりどりの夢を見て、

 過去の華やかな香りを静かに見留めて歩くのです。

 歩くことはしあわせです。

 歩くことはさびしさです。

 歩くことのなかに、小麦色の優雅な夢を見て、

 小麦色の優雅な眠りを知り、、

 ある懐かしいリズムへと帰るのです。

 呼吸を加え、またどんなき色、香りを混ぜ、、

 人々のなかへ静かに染(し)みていくのです。

 あたらしくまた小麦色の景色がここに重なるのです。

 ここで最後だとはまるで気がつかないそぶりで、

 最後の響きが空気を伝ってゆくのも構わず、、

 いつまでも踊り続け、

 華やぎ、、

 またあなたと共にありましょう、、

 長い長い夢の傍らに、

 静かに腰かけるいつもの椅子の傍らに・・・。

 その日の朝、

 わたしは何かとバタバタしていて、

 小麦色の優雅な夢がふわりと浮かび上がったことに気がつかないかもしれません。

 それでもその静かな夢で、

 わたしは自分でも分からないままに笑みを浮かべ、

 あの見知った道を歩いてゆくことだろうと思います。