<235>「なに、これの少し分かってくるもの」

 何ものかより大きかったり小さかったりすることによって何かが分かってくる訳でもないのだから、分かっている存在だったり、核となるものだったりを、すごく大きな(物理的に)ものに求めたり、小さなものに求めたりしてもしょうがないのだろう。地球全体を覆うような大きさに変化したり(宇宙全体でもいい)、目に見えない粒のような存在に変化したりしたところで、肝心な部分は結局何も分からないままだろうと思う。

 何か核心的なものを掴む、それはやはり間合いにおいてであって、また、ズレみたいなものなのだろう。大きさも場所も全く変化しないのに、こう微妙に呼吸がズレる、気持ちが揺れる、ふっと他のことに意識が向く、そういうことで何もかも分かってしまう(あるいは何にも分からなくなってしまう)。非常に曖昧なことだ。物事が曖昧に分かる瞬間というのをおそらく何度も経過してきたはずだ。それは、特別印象に残る瞬間ではないので、ただ何となく過ぎてしまうのだが、曖昧に分かりかけるあのねっとりさを確かに知っている。

 

<234>「身体経験の重なり」

 気持ちの強さ(これ自体が随分曖昧なものであるというような気がするけれど)がパフォーマンスの向上に繋がるということは確かにあるだろう。ただ、物事の結果を何でも気持ちに関係させたがる(便利で、そう片付けてしまえば分かりやすいから)こともまた多いような気がする。何かしらに臨んでいるときの実感として、気持ちで負けているときも出来るものは出来るし得意なものは得意だし、反対に、気持ちで勝っていても、苦手なものは基本的に上手くいかないことが多い。つまり、気の持ちようで出来るところが出来なくなったり、またその逆があったりというのは、割合的に見ればすごく少ないことなのではないか。

 気持ちがどうこうなどまるで関係のない部分が実際ほとんどだと思う。尤も、その僅かの部分が大事になってくるのだと言われれば確かにその通りなのだが、何でもかでも気持ちの問題で解決をつけようとすると大きく誤ることになるとは思う。

<233>「どこから来た」

 不参加を、向うからも表明され、こちらからも表明する。おや、おかしなことになった。誰からの招待だ? 招待がなかったそうな。きょとんとするより仕方がないじゃないか。間抜けな面を曝していると、周りで怒っていた人らもつられて、主催者の方はと、不機嫌だ。不機嫌でいるのは何かが面白いような気がして、コツンコツンとあごで笑うと、まあそんな顔をするんじゃありません!

 さっきまでの廊下の匂いがやけに鼻に残るような気がするのは何だろう。並びたくなかったような整列、それでもいくらか形にはなる。なーに、困りゃしない。僕は君と一緒ってことで良いんだろう? そうでもないようである。あらららら・・・。

<232>「ミステリックぼんやり好き」

 闊達だ。塞がらない帽子、夜通し、見ておやり。毎夜々々のエンジンは、ポコッ。夢の扉、開けるまでもない前掛けの、まだとくとくと注ぐばかりは、常磐道。切り離し見る峠、小屋の整列、あれ言わんこっちゃない。もんどり打って頭取の、投げ縄に引っ掛かる、朝、ミステリックぼんやり好き。

 偉そうな緑、もう既に取りかかり、落ち来たるまぼろし、慎重に外へ、干し濡らし。もうちゃんと手が塞がるよ。暗闇の殿様、頂きながら涙を流し、滑ってバックバックやり直し。霧が太陽でも明日なら良いだろう。

<231>「そのまま」

 事実として厳しい、あるいは厳しいところもある、これは良いとして、厳しい経験を通過したことにより、知らず知らず自分からも厳しさの方へ余計に傾いていってしまう、寄せていってしまうことがあるが、これはいけないというか、勿体ない。厳しいという感覚を得ていながら、全然厳しくなんかなかったよと周りに言って歩くのもそれはそれで良くないかもしれないが、在るがままの厳しさならばまあなんとか耐えられた、やってみることが出来たであろうものを、あんまり厳しい厳しいと強調して、在るがままの厳しさをより大きく見せてしまったばっかりに、物事が断念されるようなことが起きていたとすればやはりそれは勿体ない。

 また、勿体なさばかりではなし、たしかに人間は身体の中に在り、それによって様々の困難が運命づけられているようなもので、そりゃ弱いであろう、よって厳しさもそれなりにあろう。ただ、その言わば運命的な厳しさだけで萎えてしまうようなことはない。つまり、在るがままの厳しさではなく、必要以上に厳しさへ寄せていく空気の方に萎えてしまうのだ。要らぬ辛さ、厳しさを作っているという感じがする。

<230>「螺旋階段の肌色」

 塔女房、とは申せ。不気味な谷を渡り、愛用の螺旋階段を。ひたへひたへ、おのずから忘れるところを頼むその尋常の。クリーム色に溶かされたそばで、ひとまずスケッチ、とってキャッチどのように。あやまりて引く、どこへ引くもうすべすべのそこ引く、獰猛この上ない。

 一様に引かせる涙、枯れず、先端に触れ、開いた口がぽっかり。眺めをも知らぬ景色のなかでやさしい眼球は場所を譲り、滾らせ方を知らず後ろの袖、引き切って頂戴。盆に載る、わかめやら足やら。交替放題、意気消沈。神妙なお隣の膝頭木綿並み。内装協定今日のうちご破算。これこれと、触るんじゃあ、これこれと、触るんじゃあ、これこれとそれ怠慢のみたらし、下に指し、如意もし通しもせんなら、特別の満ち、大概は専念の体。

<229>「地面は薄氷だから」

 地面は薄氷なんだ。歩いている感じに拠る理解としてはそんなところだ。ところが、これがなかなか割れないから、自分が歩いているこの地面は薄氷でも何でもないのじゃないかと思わずにはいられなくなる、というより、誘惑に引きずられるという感じもないままに自然にそんな考えを身につける(もしかしたらそのことにも気づいていないかもしれない・・・)。しかし、固い地面だと確信したその足下で、本人には聞こえないくらいの小さな音で氷がピキピキ鳴ったのを知っている。踏み出している場所があともう少し右にズレていたら、そのままバリバリと行ってしまうところだったのを知っている。

 薄氷は薄氷であるという理解、それは特別なことでも何でもないが、ただ、歩き方は変わらざるを得ない。どう歩くのか。本当は、そんなことを意識しない方が上手く歩けるのかもしれない。しかし、明らかに見えているところを違うものと思う訳にはいかない。慎重にズルズルと滑るように運ぶ足下で氷がひび割れを起こすのを見て穏やかに笑うぐらいにはなっているのかもしれない。もう少し寒い方が好い。