<297>「平然と紙一重」

 罠みたく拡がる場所を前にして、何をこの、と力まない人間は、存外にどこまで行っても平気な顔をしている。一度も平気でなかったから後になってまた恐怖に陥る、のではなく、どこへ行っても平気そうな顔をしていたことに気づいて後から怖くなるのである(あれは罠だったのでは・・・?)。もし、後になっても別に怖くならないまま、ずっと進んだとしたら? どうということもない、ずっとそのまま進むか、明らかに罠に嵌ってしまうかだ。

 紙一重のことが延々と続く。それは一番安全と保証されている道においてもそうで、というより道が安全か否かということにもあまり関わりがなく、紙一重であるというのが基本だ。そう、紙一重のことが延々と続く。それが不安というものの原因だろうか? 在り方からして不安と一体である。それはどこかで解放される類のものではない。何をしても何を言っても平気そうにしている周りを眺めて、

「この人たちはおかしいのか?」

と思ってみたくなる。しかし、しばらく経って、ふとした瞬間に、平気そうな顔をしていた自分の過去を見つけて恐怖に陥っている人の姿を私は確かに見たのだった。

<296>「懸隔」

 現実で起こる痛さと(例えば歯の痛みとか)、内側の世界との奇妙な遠さというものを思わずにはいられない。それは遠くから届いた電話のようなもので、もちろんお互いに交流はあり何かが伝わり、影響も諸に受けるのだが、同じ場所ではない。近くですらないのだ。同じ場所でないのは当たり前かもしれないが、近くでないということが奇妙さに一役も二役も買っている。

 内側の世界で勝手に拡がっていく考えは、現実の痛さというものを無視して成り立っている、軽く見ている、もしも痛みの急襲を受けたならば、内側だけで伸び上がった幻想の塔など、ボロボロになって脆くも崩れ去ってしまうだろう、と。随分影響を受けている人などがそういうことを言っていて、なるほどそうなのだろうなと別に疑うことも今までになかったのだが、実際に私の中で起きること、その関係を見ていると、どうもそうとばかりは言えないような気がしてきている。痛さには大いに影響を受けるのだが、影響を受けるということ、それ以上でもなければそれ以下でもないといった感じだ。勝手放題に拡がっていったものはそんなことでは崩れない。

<295>「けぶる午後に」

 心象風景が穏やかな午後を襲い、変色する夢を頻りに追いやっているその影が、ひとつふたつと景色を見破る。泣き喚く者どもの夢を捕らえ、安直に結びつける額を叩いて、飛ぶ馬の境をひたすらに撫でた。ああ、暴走通りの気味悪さ、熱帯地方のどよめき。

 ひっくり返される到達を、半ばは避け半ばは笑い、はばたき合いながら不条理な転倒を儲けの最後と決め、踏んだり蹴ったりの夕べをいそがしく見つめる。見ては去り、見て帰り、帰り際の挨拶はいつになく、回想する運命を快く通した。積み上げられた泥炭をひしと撫ぜ、捨てられた者たちのための歩みをしぶしぶ再開するのだ。

<294>「第十木曜日」

 検討に値しない出来事は第十木曜日に回そう。紙の余白が僅かに埋まったことを確認し、静かに閉じた。近づきようのないものが、少しずつ距離を詰めてきているのを感じる。あれは、確認というのはどうして繰り返せば繰り返すほど不安になるのだろう。こんなだったら、一度も確認しない方が良かったのではないかと思う程だ。一度確かめたが最後、二度も三度も同じことだという流れになるに決まっているのだ。うんざりしながら同じものを幾度も眺め、第十木曜日の予定が確かに埋まっていることを確認する。

 第十木曜日の今日、天気は晴れていることを気にしつつ、緩やかに曇っていくでしょう。雨が降るには及びません。二度寝、三度寝をしたのがいけなかった。予定の欄にはただ要確認と書いてあるだけだ。その通りのことをするより仕方あるまい。執拗に確認を繰り返し、もはや確かめるという作業が意味を失うまでになった。ちゃんと確認しましたかという問いに、はいと答えたのは、決して肯定ではなかった。ただ音が漏れただけだ。

<293>「冷静な手のなかで」

 あまりよく見ていないものから現れる冷静な手のようなもの。それがいつまでも鳴り続けて意識を濁らせながら回転していく。二度と通らないという約束を反故にして尚進む中で痕跡は慣れない左足で消されたのだった。否、私はそれを右足ですることを拒否したのではなかったそうおそらくただの気まぐれから。同じ動きでありながら微妙に、しかし確かに力が入っていないことを喜んだのも束の間、不便をあえて取る面倒さとおかしさでしこたま疲れてしまうのだ。夜の長いベッドで上と下とどちらに合わせてみたらいいだろう真ん中にただ置かれることは何となく気持ちが悪いのだったが、それも大した問題ではないので真剣に考えられないことが逆にこの問題を難しくしているんだ。うるさいはうるさいが、耐えられない程ではない騒音をのべつ聞いていると、このまま静かになっていくのは私だけだと素直に考えたものだった。

<292>「理由のない困惑」

 おそらく叫びもしなければ、救ってもらいたいとも思っていない。これは何だろう。最初から持っていないから、目的を失いようがないのだ。全体が目的を失った(ように見えた・・・というのも、最初からありはしないのだから)ことに気づいて慄いた時代とはズレがあるのかもしれない。むろん、目的のなさは別に時代などとは関係がないのだから、最初から感づいている人はいつだって居ただろうが。

 困惑していてしかもそれに理由などない、と言っている顔。戸惑いから、感情らしきものを抜き取って、そのままそれを貼りつけたような顔。そういう顔に変わった瞬間を知っている。喜怒哀楽に邪魔されないときはいつもその顔だ。どう見ていいものか分からず、何とはなし的外れなものがひとつ、その空間に浮いていて、判断を拒絶している。なるほどこれだけ具体化された違和感もないのかもしれない。

<291>「朝がふたつ」

 朝がふたつ。続く天気は晴れ、ややまどろみ。冷静な水しぶき、なべて夢に持ちこみ、夕日は停滞。

 朝がふたつ。どうりで天気快晴。やや迷い、冷たい水しぶき、夕まぐれの倦怠、夢に持ち。

 露骨に道を渡る男の肩を控えめに掴み、軽く引きずり回した後で、暗さを待つしぐさ。滑らかな歩みが非常な嬉しさで語られ、蹴られ、信頼していた行き先を、鮮やかにまるごとあっけなく変えてしまう。

 朝がふたつ。起床は霞み、高速で移動する群れ、後悔を横に添え、嫌悪感で一杯の顔へやたらに絡みつき・・・。

 朝がふたつ。どうしても、もうひとつは欲しく、欠けていく暗さを惜しみ、数多のものが集まる予感を覚え、項垂れたその目は光る。持ち上がるところまで持ち上げられた心配事は、ことのほか小さく膨らんだ。