<600>「あなた湧くのよ」

 各々が主張やら主張にならないものなどを発していて、結果的にそこから全体の印象などを得なければらならない。いや、勝手に得てしまっていると話した方がいいかもしれない。つまり、判断を次々に裏切っていっている訳ではない。ならば、これは何なのか。

「これは移動なんだ」

とすら言わないだろう。ただの移動ですらないとすれば、それは目覚め、一度目の挨拶、そうでなければ徐々に徐々に溜まっていったもの。捨て去るなどとは言わないはずのところ。おそらく次から次へと変わっていっているときに、古いものは捨てられている訳ではない(そうだとしたらば、何の縁もない別の場所に移っていなければならないはずだ)。だからといって残るのでもないのだが、

「例えばあなたが真顔であるのだと思うと、いきなり笑ったりするでしょう? そこに疑問はありますか?」

なかった。疑いと言っていいものや、不可解な出来事はここにはなかった。慎重に捉えようとして随分と苦戦しているようではないか。ひとところにそれは集まってゆったりとした空間を作るのであった。

「あなた、湧き上がっていくのよ」

<599>「無照明の回転」

 膨大な場所、あらゆる広さで、そのどこにも私がいないということが分かり、「私」ということは違和感だということ。結局そのなかに入って、しばらく座っていれば、きっとその一部になるのだろうか? さあ・・・。くっきりと浮き出ているだろう、くっきりと浮き出ているだろうその文字を、読むのは決まりだろうか、気まぐれだろうか。

 元からただただこぼれ落ちているだけなのですそうそこに何らの力みもない意図もない。意図もないことを別に喜びにはしなかったが、うぎゃっ、という衝動は内深く、深く潜って、表面上だけの自然現象、機械運動。本当に届けたいもの、それはとりあえずであり、突然の変更であり、和やかな語らいでもある。これは不器用な笑いだ。しかし悲観ではない。回転に、明るさも何も関係ないという、明るさのひとつの形。

<598>「抱擁」

 だってさあ、抱いてやらねばならないんでさあ。少しだってどうぞまた、ないがしろにされたってそりゃあ、このなかに含んで舐めて広がってやっていかなきゃあ、それはならんでしょうに。音もまた伝っているよ。ひどくひどくなんでもないと装いながら。このまま慎重に頬を伝って、いるよそのさきの再生と、透明と、壊れてゆくという過剰な怖れとが。

 本当に見たって言えるものがうようよ僕と記憶と。本当に見たって言えるものがとぼとぼ僕と慰めと。本当に見たって言えるものが今日の寛ぎのいちいちを占領してしまう、しまうからさあ、これはまず初めにあなたが抱いてやらなしょうがないと、そう思っているよ。

 あなたがたまたまた、ことを問うなり、またここを通るなり、非常な速さで泣いていたり、あくまでも訪ねてゆけ、そうした声を聞き、なぞり、巡る。ざああそらそら、驚いて君も延長しているよ。延長するまでもないと言いながら、もう少しもう少し、このことを私以外にも話してやってくれ。腕のなかで眼差しが待っている。何も言わずに待っている。

<597>「空白へ吹く」

 ここには空白があった。しかし怒ってはいなかった。ここには計画もあった。しかしひたすら呼ばれていたのだ。ここには長いこと待たされる人があった。しかしこうした。

 おおい、おい。おおい、おい。私は、怒らなかったじゃないか(それが重要だ)。私は、何も注文しなかったじゃないか(それが問題だ)。私は、一度とて訪ねたがらなかったじゃないか(それで・・・それで充分なのだ)。

 ひとと、おり寄せよ。ぞく、ぞく考える。ところ変わってまた語り出し合い始まりから終わりまで、まざ、まざ、まざ。混ぜ合わせ再び感情とを用意しろ。確実な姿を掴むとき。笑って、やわらかさとまた折り合うとき。ひき続き、お前の惑いを示すとき。

 ところがちょっと窓にはカラカラと軽やかな笑みが当たっていた。

<596>「肢体した緊張をほどいて」

 綻びる、いやいや、束の間の休み。試みる、あはあは、膨大な一歩、また一歩。当ててみる、なかなか、難しい展開とその順番に。まろび出る、どうやら、緊張しいしい用意がなされるそこの場所。溶けてみる、まだまだ、優しさの、あなたの傾きが必要だから。

 私が正確に動くためではなく、正確に動くにはそうしなければならないという錯覚のために集まって、それは知識と、合図と、自由時間とによってほどけてゆく。緊張の面持ちは、ここで、誰にとっても柔らかく、適当に投げて、転んで、一度でもいいからと揺れ始めていく。ここで見る人の、ひとつの傾向というものを掴み、笑い、弾き、またの再会を約束した場面に頻りに光が当たっている。誰が中心なのか、どこが中心なのか。その目で確かめられるほどの固まりはドロドロと流れ出ていってしまった。

<595>「あなた口をアけて」

 何か頼んでいるのか、不思議な人だ。関心は関心でぶちこわれてゆく。返事をもらっても、特に反応しなくなっている。

「あれ、転がされるでもないと思いますか? あなたならどうです?」

訳、訳、この話を聞いてくれ。話していると方向がズレてズレてしょうがないのだが、何が何でも気怠そうなのだ。しかし、この通りでひとつも聞き漏らすまいとしている多数の人々が窮屈な思いからほどけていくのを感じると、ひとりで驚いてしまった。

「ねえもし、何を言いたいのかが分かるのですか?」

いや、いや、いや。あれ、どうも、なんだかこわい。こわいと思えて安心しているところがあり、ゆっくりと下がる。遅くなるといけないが、こちらだけしか見ていないように思えるのでいまいち固まってしまった。いけないいけない、多少力を込めて話さなければならない。

<594>「私は帰らない」

 日々の掛け声がどうということもなく上を見て下を見て、ひとりだに帰ること能わず。誰彼が、訊ねる間もなく意識が沸騰して、もじゃもじゃ、もじゃもじゃと、これは渡り合いおそろしいこれはただの渡り合いになる。何度も何度もねじり上げられてさぞや不愉快だとは思う。ここで思いっ切りスピードを上げてみたり下げてみたり、さて私はどこを見ているのでしょう。疑問は解消される必要もなく、ただハラハラとそこいらへ落ちた。また、拾うものがそこここに列を作り、列は笑った。快活な笑いもあれば、悲しい、痙攣した笑いもあった。何故か、慰める表現から順番に疲れてゆき、方向といえばそのほとんどが今や、優しいだけの選択肢。これからのこと、そーれイメージからイメージを抜いてもなお見えているぼんやりしたもの、不思議な無表情まで、ひたすらに包むまた包む。お前さんがたのなかにもきっとこのことに気づいてポツ、ポツと現れることを選んだ人もいるようだね。よく響くなんてまっぴらごめんだと。