<653>「灰くず」

 かつて、あの辺りに、残っていた紙屑、あの灰、匂いの消え入りそうな、ただ私にだけ、僅かに感じられると信じたもの・・・。ゆくり、ゆくり・・・。間違いのなく、やや、熱、噛んで含んでいるよな、遥かな、熱、また、あらわに。あくがれ疾くすぎてわざわざ肌ざわめかせかかることどもとなく、なく、落としていた・・・あたためられた、これは、わざとこちらの空気で、見れる、逃がし、わななくと、この、必要があの、湿った場所での震動と、ひゅう、ひゅうう。

 もろとも、引き上げて、辺りを見渡すと、その底ここ、からゆくり、ゆくり小さな空気と、

「こうじゃないよな気がするんだがな・・・」

という、静かなつぶやき、それは暑さ、小さな泡立ちが、やがて、泡でもない、声でもない、この頃は、やたらに覗いて、ひひ、ふふ、行動と、何故か似ている、はしとひとふき・・・。

<652>「幾方面から差し」

 理由が、理由がめちゃくちゃであるのよ、と言った。例えばあなたがそこから見ているのだとして、私はここから見ており、また別の人は、違う位置からある独特の感覚の下で静かに見ているのだから、現象がめちゃくちゃになって当然であり、それは理由が上手くいかないのではない、と言った。

「もっと上手くゆえる気がする・・・」

言葉にすると間違う、というより、もっとここにはここなりの組み立て方がある気がするんだ。

「完成のことを、考えている?」

何だろう、もっとすっと通るはずなのだということを考えて進み進み動きつつなのは、完成を目指すが故のことなのだろうか(どうもそうじゃない)。それによって熟していこうともくろんでいるのでもなく、ただ、思うとこと動くとこ、ズレていればそれだけで動き出さずにはいられないということなのではないか。

「もっとこう、おさまるところがあるはずなんだが・・・」

<651>「風の向きを見留めて」

 落ち込むときは、そよ吹く風の向きを見留め、そこで共振しなければならない。そうして初めて表情は生まれるのだから。待合場所は動きを減らし、そうして駆け足の音を聞かせる。訳もなく走り出してきたのが、本当に馬鹿みたいで、ムッとする空気のなかへ、言葉を忘れ去る。

 笑みは僅かであり、風景が全てだ。分からずやと少なくも交歓することが出来る、その期待の分だけひとところの手足は躍動し、次の表情を待つ、混ぜ、変えることが出来る。できるだけ、決まった言葉を交わしていって、出来るだけ、普通のリズムで立っていたい。斜めになぞることが面倒くさいなら、私は走る。そうすると、どこの風景もが大丈夫だと思えるからだ。どこのお話でも、軽くなったと思えるからだ。

<650>「真新しいかわ」

 頷けなくて、また、どうなるのだろう。小さな報せを感じ取ると、またたく間に疲れてしまって、とっておきの、その驚かせ方が、内証を内証らしく受け流す間、瞳は、いずれも、かたまった期待を抱かせるに充分なだけの光を取り込んでいる。はからいはいつも過激だ。いくらも関係があって、いくどもこれは、見たことのないものだという。

「真新しさがどこかにある、とすれば、私は歳を取り続けているのだろう」

ためらいは、わずかな溜め息とともに出で、なかなか苦笑いの、その向こうへ、わざわざ帰ろうとはしない。ところで、歩行とも、片道とも言わぬ、日々の眺める隠れさす。あらかじめ、戻しておいた大はしゃぎ、に乗っかるとうなじやら大あくび、お辞儀など丁寧にこぼれ出してありそうもない連絡通路のなかで華々しい表情だから私に見せる。

「これなんだよ」

<649>「人の心子どもの頃の記憶とともに駆け出した朝の道」

 音になり初め騒いだところの暮らしよく見ている天井愚かなことごと何かで知らせろい混沌とたがわぬなけなしの像よ。おちょくられた明らかな表情よ。肩の側からなぶるだけなぶられて黄土色の風景そこにひたすら吸いこまれて諦めるよりほか立っている。

「ここからの行動は、大体驚きと、驚きのなさに任されている」

なんだなんだ、なんだあこいつはと言われても笑みしかこぼれないそれが不可解でかろくておお何も、何ものも我慢でないこと、訳の分からない噴出や途端の冷静さなどがゴツゴツと硬い表情を助けつつ裏切りまたもや望んでいるものなどから慎重に慎重に浮遊してひとところ回転技、人の心子どもの頃の記憶とともに駆け出した朝の道を追う。

 うたいてえのやら、ただ管になりてえのやらがくだらない地面をかき乱し、ひとりで笑っている。ひとりでに笑っている。なかば語らいと嘘の交歓をいちどきにからかってみようなどと提案するそれも謎めいて見えるいや見ているのだよと声をかけて二通りまたたいたり合わせたり緊張もこの場合は何のためことごとく振り向いてわなないているということです。

<648>「振り払われえない表情」

 通り過ぎたはずのもの、克服したはずのもの、ぬうと立ち昇る姿、あれは、私と同じ顔ではないのか。忘れていたはずの、自分はそうではなくなったと信じていたはずの、そのかたちがあまりにも似通っていると、対処はだんだんと怒りに、しつこくしつこく近づいていく。おれはここから、引き離されたのだと信じさせてくれよ。その言葉だけが出ず、あじきない文句が徒に、漏れ出で場所を選ばない。

 あたらしさはどこの味方? あたしには、振り払えないものだけがあるの? 去った去らないの、争いのなかから抜け出せないのだろうかそれとも、そこにこそいるべきであるのが私なのだろうか。

 消えたと思った表情が、次から次へとここから外へ現れて、

「あれ久しぶりですか」

とトボけている。あの、あのな、随分と言ってやらねばならないことがあるぞ(本当にそうか?)。私は言われなければならないのではないか。

<647>「私には表情がない」

 思うと、常に、新しい。容れ物が、次々に次々に、何故とは言わず、我なしでも済まず、見送りに、立って構えて、わざとらしさの。加わらいでもよい、よい。沢山と和み、私ひとりと、もてなし。感情だって用意が良いと、頭がなくてもポコポコ、ポコと生まれ出、続ける、続けると奥に開くものもの、からだから形交わされてあどけない、表情の悲しみ、狭量と笑い。

 ステップとステップ。私には表情がない。すると現す度何を、それから、心の前で何を、見せびらかし過ぎていたのだろうか。思うに、考えは、軽い。しかし、どこにでもいる、どこにも溢れているだろうとすると、人の話から外れていく、だけのことである。ことであり、わざわざ、大層な、おかしみと取る。取り合いだ。何巡も、何番でも、疑いたがりながら、何故か、あくまでも道の端だけ分からずやとそのなかに。

 現れたことだけからが、混ぜ合わされただろう場所に入っている。いつか、片側でない、言葉に気づくタイミングがあることで・・・。