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ないものをこねくり回す、それが嫌だと言ったって、もちろん程度の問題はあるだろうが、こねくり回せる確かなものというのはないのであって、ないものをそれなりに、こねくり回していくしかないのではないか(こねくり回すとすれば)、というのはまさに『か…

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鷗外は秀麿として書いたのだから、秀麿の動きとして考えた方がいいのかもしれない、全く分離して考えていくのもおかしいかもしれないが、『かのように』に留まるのは秀麿であって、鷗外は変化していたであろうから、この作品に拘る以上、秀麿として付き合っ…

「かのように」再読につき~父親との問題~

『所詮父と妥協して遣る望はあるまいかね。』 久しぶりに『かのように』を読んだ。今回の読書で気になった点は冒頭の台詞、むろん秀麿の台詞なのだが、秀麿は、自身の、 「かのようにの思想」 が、父親に危険視せられることをやけに怖れている。何とかそこの…

「かのように」という鷗外の姿勢~加藤周一さんの見解に対する反論~

森鷗外が書いた短編に、『かのように』という作品があります。 子爵家の息子である主人公の秀麿は、国史を一生の仕事として研究するつもりでいましたが、どうも、神話というものを歴史とは別にしておかなければならない必要に迫られて、すぐには研究に手をつ…

過程の充実だけでもだいぶ濃い~結果はオマケ~

松本清張さんの作品に『或る「小倉日記」伝』というものがあります。「小倉日記」とは、森鷗外が明治32年6月から明治35年3月まで九州小倉に赴任していた時に、つけていたとされる日記のことですが、実はこの日記、誰かが持ち出したまま行方不明になっ…