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ボーっとしていられない

怒り

 普段から何でもいろいろと考えすぎてしまう為に、家族があまりにも考えるということをしていないことに気づくと、

「何で考えないんだ」

という、疑問と怒りがないまぜになったような感情を抱いてしまうのですが、怒っていても仕方がないので、何故考えずにいられるのだろうかということを考える為に、家族を観察してみたのです。

 そうすると、すごく単純なことなのですが、考えない人というのはそもそも、

「ボーっとしていられない」

のだということに気がつきました。ボーっとしていられないのが何故考えないに繋がるのかというと、例えば私なぞが物思いに耽っているときというのは、何かの作業をしているときではなく、一人でただボーっとしているときなのです。そして、この「ボーっとしている」状態に佇んでいることはそんなに苦痛ではないんですね。しかし、この時間が苦痛である人、つまりボーっとしていられない人は、物思いに耽ることも出来ないのだろうと思うからなのです。何かやりながらじっくり考えることはおそらく難しいでしょう。

 家族を見ていても、何かを考えるのに絶好な「ボーっとする」時間は現れていることには現れているのですが、すぐに無理やりにでも何がしかの作業を始めて、「ボーっとしている」時間を自分で消しちゃうんですね。見ていて、非常に勿体ないなあと思っていたのですが、それはあくまでも「ボーっとしている」のが苦痛ではない人間の視点であって、苦痛な人にとってはすぐにでも消し去りたいほどに嫌な時間なのだということに気がつきました。

この事実に気づくと、もう特に、考えない人に対してのイライラみたいなものは生まれてこなくなりました。考える人の方が良い・悪いという話ではなく、ボーっとしていられるか否かという性分の違いなだけだった訳ですから。