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「これで良かった」と言わなければ気が済まない

虚無

 日頃から疑問に思っていることですが、何故人間は、

「これで良かった」

と、様々なタイミングで、自分を納得させずにはいられないのでしょうか。例えば、

「私とあなたの出会いは運命だった」

というのがそれに当たりますね。この出会いが最良であった、これで良かった、ということを確認するためだとは思いますが、実際のところ、その相手が最良であったかどうかなんて分かりっこないですし、また、客観的に見て最良であったと判定することも出来ないでしょう。しかし、「運命」だと処理せずにはいられない・・・。何故か。

 おそらく、様々な選択可能性があった、つまり、

「これで良くなかったのかもしれない・・・。」

という可能性が必ず残るということが、耐えられないんですね。ですから、他の選び得た可能性・選択肢というのは、現在自分が進んで享受している選択肢よりは劣るものであったとして、排除していきたがるというのが、人間の性なのかもしれません。

 そう考えると、

「昔は良かったなあ・・・。」

という感慨は、現代という時代の可能性を、また現代という時代に対して僅かに残る「名残惜しさ」を、自分の中から徹底的に排除していく動きなのかもしれません。つまり、

「私の生きてきた時代こそが最良の時代であった」

と。これで良かったのだと。

 しかし、物質的な変化、環境的な変化はあったにせよ、精神的な面における人間の悩みというのは、何千年も、何万年も前からたいして変わっていないところを見ると、特別昔が良くて、今が劣るということも無いでしょうし、また今が圧倒的に良くて、昔はダメということも無いと思います。宇宙のただ中に、何の使命もなく、「ただ存在する」という絶望感と、何の使命もなく、「ただ存在する」という嬉しさは、昔から今まで大体変わらないと思います。どの時代においても似たり寄ったり、そのむなし嬉しさと付き合いながら、なんとか日々をこなしていたというのが実情ではないでしょうか。

 ですから本当は、生きていく中で特別、

「これで良かった」

であるとか、

「これが悪かった」

というようなことは無いんだろうと思います。人間というのは前述のように、

「ただ有る」

だけなんだというように思っています。ですから、

「これで良かった」

と逐一整理せずにはいられない人を邪魔するつもりはありませんが、何もそんなことをしなくとも、

「ただ有る」

という嬉しさを、虚無を、各々自分なりに受容していければ、それで充分だと思います。