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一人で生きられるという幻想

 岩波国語辞典第二版で、「自立」を引くと、

『自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやってゆくこと。~』

と書いてあります。この定義に当てはめると、現代人は、サバイバル生活をしている人以外全員、「自立」出来ていないように思います。

 「自立しろ」

とは言いますが、そういう説教を垂れる人も漏れなく、「自立」出来ていないと思うのです。

 例えば、生きていく上で欠かせない水は、自分の家に自分で引っ張ってきているかと言われれば、多くの人が引っ張ってきていない訳です。ちゃんと水道を引いてきてくれる人が別にいます。食べ物だって、育てたり、捕ってきたりしてくれる人がいて、ようやく我々が食べることができています。今着ている衣服だって、教養を積むための本は、住んでいる家は・・・。皆ほぼ例外なく誰かの助けを得て生活している訳です。

 「お前は、現代人はすべからくサバイバル生活をするべきとでも言いたいのか」

と思われるかもしれません。しかし私は、

 「自立しろと説教するあなた達だって、とんでもない回数助けられているじゃないか」

と責め立てたい訳ではないんです。そうではなくて、

「自立できる」

「一人で生きられる」

なんて、根拠のない想像、つまりは幻想なんじゃないかということを、しっかりと言いたいのです。

「そんなのは屁理屈だ。私は一人で立派に稼いでいる」

と言う人もいるかもしれません。確かに、働いていない私に比べればとてつもなく立派です。ただ、こと自立しているということに関しますと、あなたが立派に働いていることを評価してくれる会社が、お客さんがもし存在しなければどうでしょう?

 お金を生み出す魔法でも持っていない限り、自分一人の力で金銭を得ることは出来ません。評価してくれる「他者」ありきで稼げているのです。

 精神的自立についてもそうですが、

「誰にもよりかからずに、自分一人で立っている」

と思っている人が居ても、

「果たして本当にそうでしょうか?」

と言いたくなります。実は、気がつかないだけで、家族がいることや、親しい友達がいること、話の分かる知人がいること等々、たとい普段はあまり会わなかったとしても、物凄くその存在が自分の支えになっているということはあるのではないでしょうか。失ってみて初めて、精神的ダメージの大きさに気づくということは、よくあります。

 また、そういう近しい人々でなくとも、普段から聴いている音楽や、よく読む本や、よく見るテレビなどを作っている人々に、大いに精神的に支えてもらっているということはあるでしょう(私はあります)。

 ですから、むやみやたらに、

「自立しろ」

と言うのは、人間に向かって、

「空を飛べ」

といきなり言っているようなものだと思います。私は、自立しろというのではなく、むしろ、

「良い塩梅に人に頼りながら、出来ることを少しずつやっていけ」

と言っていく方がよほど説教としても品が良いと思いますし、世間に飛び出していくことを構え過ぎてしまう社会傾向をほぐしてくれると思います。個人的な感想ですが、世間で言われるところの「自立している人」というのは、逆説的になりますが、「その分だけ上手く、人に頼れている」

と思うのです。ところが、あまりにも自然に、上手いこと頼ることが出来るゆえ、頼っているということを忘れ、他人には、

「自立しろ、一人で生きていけ」

と言ってしまうのではないでしょうか。これでは、「場面場面で上手く頼っているよ」という大事な情報が伝わらず、それを言葉通りに捉えた人が、

「人に頼ってはいけない」

と解釈し、ひとりでに自分を縛ってしまうというケースは結構多いような気がします。

 「誰の手も借りず、一人で何でもやれる」

という幻想は捨てて、人に負担をかけすぎないよう、上手く頼っていく道筋を探っていくことが大事です。