動物的評価を望んでいるし、望んでいない

 どちらも本当の気持ちなのだけれども、お互いに矛盾していて面白いなあと思うことがあるのですが、それは、

「オスとしての評価を望んでいるし、評価を受けると嬉しいのだけれども、その反面、オスとして評価されることに対する嫌悪感、恥ずかしさみたいなものもある」

ということなのです。

 「オスとしての評価」というのは、端的に言えば、「性的魅力」ということになるんですが、確かに、この評価を受ければ嬉しいのだと思うんです。その気持ち自体は本当で、もし、

「あなたには、オスを感じない」

と言われてしまえば、それはそれでなかなかにショックを受けるのだろうと思われます。

 では、あなたは、「性的魅力」を感じてもらえるように、「オス」だと意識してもらえるように自分を持っていく努力をしているかと言われれば、全くそういう方向には懸命になっておらず、むしろ、逆の方向へ向かうように努力をしている、つまり、

「オスだと思われない」

ように自分を仕向けているというのが実際のところなのです。そして、その努力の甲斐があってかどうかは分かりませんが、比較的、オスとしての評価を受けることが少ないのです。

 ならば、全てあなたの望み通りではないかと思われるかもしれませんが、先に述べたように、

「オスとしての評価を受けたい」

という気持ちも、

「オスとして見られたくない」

という気持ちと同じぐらいにあるので、自分が思った通りの結果を得られているにもかかわらず、なんとなく満足しているとは言えないのです。

 こんなに見事に矛盾しているのだから、どちらかの気持ちは偽りで、本当はこうなんだ、というのがあるのだろうと思ってもみたのですが、どうもそうではないらしく、

「オスとしての評価はされたいけれど、されたくない」

というのが、一番私の心情を適切に表した表現のようなのです・・・。