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「勝手に産んだんじゃないか」と怒ってもしょうがない

 怒りは当然あって、怒っても良いんだけれども、

「う~ん、しょうがない」

と思って進むほかないなということが、結構世の中にはあると思います。

 何だか、人間が万能になったかのような勘違いをして、

「しょうがなさ」

を受け容れることを、極端に嫌がるような風潮もありますが、所詮ただの人間ですから、沢山の、

「しょうがなさ」

を抱えて生きていくより仕方ないと思います。

 そんな中、私が抱えている怒りで、しかし、しょうがないと思って進むよりほかないなと思っているのは、

「勝手に産んだんじゃないか」

という類の怒りです。

 こういうことを思わなければいけないというのは、親もつらいかもしれませんが、子どもにとってはもっとしんどいです。

「あー、歓迎したと口では言うけれども、そんなに歓迎された状況で生まれてこなかったのかもしれない・・・」

という意識をこれでもかというほど植え付けられると、親に文句を言われるたびに、

「あなたが勝手に産んだんだろ」

という怒りが芽生えるようになります。

 こんな、感じたくもない怒りを持たなければならなかった人間も、

「お父さん、お母さん、私はあなたたちの下に生まれて幸せです」

という言葉が、何のためらいもなく口からスッと出てくる程、幸せな家庭に育った人間と同じように社会に出ていかなければならないという理不尽に、怒りを通り越して一種の倦怠感すら覚えますが、しかし、このような理不尽はどこまでも、

「しょうがない」

のです。それを背負っていくよりしょうがないし、親を、このことでいつまでも責め立ててもしょうがない訳です。もうここまで生きてきてしまっていますから。

 だからといって、生命を自分で終わらせるのは、自然の道理に反するであろうということは他でも書きました。

 結局、しんどいから自己を、あるいは他者を排除するというのは何の解決にもなりません。淡々と進むより仕方ないのです。