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どうして、批判を見てはいけないのか?

 タモリさんは、ほぼ日刊イトイ新聞の記事の中で、

「俺、人の評価とか読まない」*1

と語っています。テレビなどでも、ネットの評価は絶対に見ないというのを公言しているところを何度か見かけたことがあります。曰く、批判を見ていたり、気にしていたりすると、気持ちが萎えてしまって、能力が出なくなるからなのだそうです。

 なるほど、タモリさんが言っているのだから確かなのだろうと、安易に考えてしまうのですが(笑)、ここでひとつ私には疑問が生じてきます。

「では、何故イエスマンで周りを固めた人間はダメになってしまうのだろう・・・」

と。批判や疑いの目をぶつけてくる人間を、極力遠ざけていく過程というのはタモリさんと同じなのに、何故周りがイエスマンばかりだとダメになるのだろう・・・。

 おそらく、批判を意図的に見るようにしている人や、なんとなく見ないと気が済まない人の中には、イエスマンばかりで周りを固めて、ダメになっていった人を見て、

「ああいうことにはなりたくない」

と思ったが故に、批判を見るようにしているという人がそれなりにいるんじゃないかと思いますし、私自身も、そういう変な使命感みたいなものに囚われることがあります。

「称賛ばかりを見ていたらいけないんじゃないか・・・?」

という意識がどこかにあるんです。

 しかし、タモリさんは、能力が出なくなるから批判は見るなと言っている・・・。かと言って、周りにイエスマンばかりだとダメになる・・・。ではどうすれば良いのか?

 

 ここでひとつ、他のテレビ番組ですが、面白い指摘をしているものがありました。2014年の9月27日に放送された、「FOOT×BRAIN」という番組で、ゲストで登場した、脳科学者の中野信子さんが、とても興味深い事を言っていたのです。曰く、人間が成長するのには、「アメとムチ」ではなく、

「アメと無視」

が一番だということなのです。

 これは、ねずみの実験に基づくものなのですが、左右2つに分かれた道を用意して、ねずみに、左に行くことを覚えさせたいと思ったときに、左には餌(いわゆる「アメ」)、右には電流(いわゆる「ムチ」)を用意するよりも、左に餌、そして右には何も用意しない、いわゆる、

「アメと無視」

の方が、覚えが早かったそうなんです。何故これの方が覚えが早いかというと、右に曲がってしまったときに電流がある場合は、ねずみはもう怯えてしまって、スタート地点から出ようとしなくなることが多いのに対して、右に何も無ければ、また入口から分かれ道に出ていこうとするやる気が出てくるからなのだそうです。

 これを人間に置き換えたとすると、批判をされる(電流を浴びる)と、もう批判を恐れて何もしなくなる危険性があるのに対し、無視だと、

「いつもは褒めてもらえるのに、何故何も言ってくれないんだろう?」

と、人間が自分で考えるということに繋がって、結局はプラスになるということなのだそうです。

 これを見て私は、タモリさんが、批判を見てはいけないと言っていたことや、

「何故イエスマンばかりで周りを固めるとダメになるのか」

という疑問が解けたような気がしました。つまり、批判を見ると、

「やる気がなくなるだけ」

であるから、見なくて良いのだけれども、だからと言って称賛ばかり受けていてもダメで、ダメなときにはダメなりに、うんともすんとも言ってもらえない時期というのが重要なんだということなんだろうと思います。

 イエスマンばかりで周りを固めた人間には、「アメと無視」の、

「無視」

がないのです。上手くいっていようがいまいが、称賛されているからダメになってしまうんですね。ですから、彼らを反面教師にするのは良いですが、意図的に批判を見るようにする必要はない訳です。

*1:はじめての中沢新一