小さい頃から今に至るまで、アレルギーには恒常的に苦しめられているのですが、例えば、腕が痒かったとして、思い切り掻いてしまい、その結果として皮膚がただれてしまったときに、
「何で掻くのを我慢しないんだ」
であるとか、
「掻くからいけないんだ」
と言われて、この問題を片づけられることに対して、多少なりとも不満がありました。
つまり、掻くからいけないという主張は、私が、我慢の出来ない人間であり、痒みに耐える力がないから掻き壊してしまうんだという前提に立っているんだと思うのですが、私はそうとは思わないのです。というのも、もし我慢できる程度の痒みしか襲ってこない、あるいは、痒みというものはそもそも我慢できる程度を越えることがないものなんだとしたら、世の中で、アレルギーによる痒みで苦しむ人なんか一人も存在しないだろうと思うからなのです。
要するに、アレルギーを抱える人間に襲ってくる痒みというのは、人間の、我慢できる程度を楽々と超えているのだということです。そりゃあ、指摘の通りに掻くのを我慢できればそれに越したことは無いのですが、現実には、ガリガリと掻きむしらずにはいられないほどに痒いのです。
また、痒みが耐えがたいものであるのは勿論のこと、「掻く」という行為自体に、ものすごい快楽が伴うというのも、非常にやっかいなところでありまして、後でただれて痛くなることが分かっていても、ガリガリ掻くというのはなかなかに気持ちが良いものなんです(笑)。
では、結局快楽に負けているのではないか、と思われるかもしれませんが、前述したとおり、痒みというのは我慢できないものであり、
「掻いてくれ」
という要請の強さは相当で、人間の意志ではどうにも太刀打ち出来ないのです。
ですから、アレルギーの痒みに関しては、我慢が出来るとか出来ないという問題ではないんだということがもっと理解されると良いなと思っております。