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小学生が抱えている悩みを大人が抱えていないからといって、大人が偉い訳ではない

 昔はあんなに悩んでいたことなのに、時が経つとそれが全く悩みでもなんでもなくなると言いますか、

「なんであんなことで悩んでいたんだろう・・・」

と思うようになって、例えば、小学生の時に抱えていた悩みなど、大人になってみれば本当にたいしたことない、いや、もうどういうことに悩んでいたのかさえ忘れてしまった、という経験は誰でもあると思います。

 そうなるとつい、今の小学生が真剣に抱えている悩みに対して、

「そんなことで悩むなよ」

であるとか、

「そういうことで悩んだりするのか、かわいいね」

と半ば馬鹿にしたような調子で言いたくなってしまうのですが、これはフェアではないと思います。

 何故なら、前述したように、自分がもう忘れてしまっている、あるいはもう悩まなくなっているだけで、おそらく自分も小学生の頃には、同じような問題で真剣に悩んでいたはずだからです。

 また、小学生の時に抱えていた問題が、今見てみると全く取るに足らないものであったとの理解から、何だか大人の方が子どもに比べて、より多くの悩みを克服できていて偉いというような勘違いをすることにより、

「そんなことで悩んでいるなんて・・・」

と、嘲笑じみた言葉がつい出てくるようなことがあるかもわかりませんが、勿論、悩みを克服できたのは自分の努力が素晴らしかったということもあるにはあるかもしれません。しかし、実際のところは、時間が勝手に解決してくれたというのが大部分を占めていると思うんです。

 というのも、歳を取るにつれて、半ば強制的、必然的に今までとは違った視点、立場に立たされて、それによって、自らが何か行動を起こさなくても勝手に視点は変化していき、当然のことながら、見えてくる景色も小学生と大人では全く違ってしまう訳です。それは大人が偉いからとか努力したからとかは関係なく、時間の経過によって当たり前に起こる視点の変化なのです。時間の経過のおかげで視点が変わることによって、自ずから努力しなくても悩まなくて良くなったことの方が、努力して悩みを克服したことよりも圧倒的に多いと思います。

 ですから、もう小学生と同じ目線で小学生の悩みを見つめることは難しいかもしれませんが、小学生の悩みを下に見て馬鹿にすることは避けなければいけないと思います。時間の経過によって、景色の見え方が異なっているだけで、大人が特別偉い境地にあるわけではないのですから。