買ったのもダサいが、捨てるのはもっとダサい

 以前に書いた、『恥ずかしいのを、取り繕ってしまう』にそのまま繋がる話なのですが、たまに、何の気の迷いか、自分で自分に驚くくらいに、ものすごく安易な本を買ってしまうことがあるのです。例えば、

「英語が一週間で話せるようになる云々~」

といったような、いかにも安易な本を時々買ってしまうのです。

 こういう本に飛びついてしまったという事実は、顔から火が出る程恥ずかしいですが、だからといって、誰にも見られないうちにその本を本棚から取り除き、捨ててしまって、なかったことにするのは、そういう本を買ってしまったという事実より格段にダサいと思っているので、そういった本は捨てられずにいるのです・・・。

 別に、安易な本であるならば、今後読むこともないでしょうから、捨てたって全然構わないし、誰もその本を捨てるところ、あるいはその本を買ったところなんか見ていないし、知らない訳です。しかし、これはもう自分の中の美意識の問題と言いますか、

「捨て去って、なかったことにする」

といった、とんでもなくダサい行為をすることはどうしてもできないのです。他の人はそのダサさを目撃することはなくても、自分は自分を見ていますから。

 これは何も本だけではなく、文章を書くことでも同じで、書いているときは熱を持って書いているけれども、後で時間が経ってから見返したときに、

「うわあ・・・何書いてんだ俺は・・・」

と思うことはよくあるんです。もうその時点で随分と恥ずかしいのですが、それを、誰も見ていないのを良い事に、消して、なかったことにするという行為は余計にダサくて恥ずかしいので、書いたものも全て消せないでいるのです。