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誠実であり続けることの大変さ

 以前、『どこまで正直に話すのが誠実か』というものを書きました。それに加えて、果たして、誠実な態度を取り続けることは自分にとって、または他人にとって良い事なのかどうかもまた、よく分からなくなってしまいました。

 分からなくなってしまった、とは言っても、ずっと誠実であり続けた訳ではなくて、『どこまで~』で書いたように、なまじ嘘がつけないから、本心を話したらまずいなという場面に出くわしたときは、適当にヘラヘラ笑ってごまかすのが常だったのです。しっかりと思っていることを言えるようになったのは最近のことです。

 それで、しっかりと思っていることを言えるようになるというのは、やってみて初めて分かるのですが、すごくスッキリした気持ちになるものなのです。

 ただ、スッキリするだけなら良いのですが、そういうことばかりという訳にはいかず、今までは自分が傷つかないように、他人を傷つけないようにヘラヘラ笑ってごまかして、本心を明かさないで強固な殻に閉じこもっていましたが、そこから誠実な態度を取るように自らを改めたならば、当然自分もいたく傷つきますし、相手もかなり傷つける訳です。そういう変化を真正面から受けて、

「私の取っている態度はこれで良いのか・・・」

と考えざるを得なくなりました。

 というのも、私は親に、

「結婚は失敗だった。私が相手と一緒にならなければよかった」

とかつて言われた事が物凄くショックで、なにか、生を根本から否定されたような気持ちになった、という思いを正直に告げたのです。それに対して親は、

「そう言ったかどうかは覚えていないけれども、それはあなたを授かったこととは別で、誕生自体は物凄く歓迎したんだ」

と言っていました。そして私が、正直にこのような事を話すこと(誠実であること)が良いことなのかどうかもよく分からなくなったと告げたことに対しては、

「多少の演技や嘘をつくことは必要だし、完全に悪いという訳ではない」

と言っていました。

 これらの投げかけを通して、誠実に語ったことを通して、私と親との間には、埋めがたい深い溝があることに気づいてしまい(おそらくそれは親も同じことを思ったでしょう)、誠実に話をする前よりも、結果的にショックが大きくなってしまいました(また、それも親は同じだったと思います)。

 私は、どんなに親が「歓迎した」という発言を投げかけてくれても、根本から肯定されているという感覚が得られないし、反対に親は、どんなに「歓迎した」というメッセージを送っても、子どもには響かないのだ、という感覚を持ったと思います。

 この溝は、誠実な話し合いを避けていたならば、直視せずに済んだのかもしれません(だからといって、存在するはずの溝が存在しなくなる訳ではないのですが)。結果的にはお互いの傷口を拡げることになりましたし、何より、親を直接傷つけるというのは、やはり良い気持ちのするものではありません。

 しかし、不思議だったのは、「私自身が誠実になったこと」それ自体に対する後悔というのは、傷口の拡がりに反比例して小さくなっていったのです。おそらく、やっと自分の言葉で喋っているような感覚を得られたからなのでしょう。

 ですから、その分の代償を自分で負わなければいけないということ、自分も傷つくということを承知しながらも、これからもなるべく誠実であり続けたいと思うのでした。