分かりやすく喋るというのは、分かりにくさに立ち返るということ

 ある職業に長いこと従事していると、語り口が次第に専門的になっていき、一般の人に自らの職業上のことを説明するときになると、

「何を言っているか分からない。もっと分かりやすく説明してくれ」

などと言われてしまうことがよくあると思います。

 そこで、言われた本人が分かりやすく説明できれば問題ないのですが、なかなかそう上手くは行かず、苦しんでいる人も多いのではないでしょうか(皆が、分かりやすく説明することに長けていたならば、池上彰さんだけ各所で異常に重宝がられるといった現象も起きなかったことでしょう)。

 しかし何故、分かりやすく説明することは難しいのでしょうか。もしかしたらそれは、ただ単に本人が口下手、あるいは説明下手であるということもあるかもしれませんが、それ以上に、根本的な原因として、

「分かりやすく説明する、というのは、分かりにくさに一旦立ち返ることであるのに、言葉の意味通りに受け取って、分かりやすさを詰めていくから、逆に分かりにくくなる」

ということがあると思っています。一般の人がある種の専門家に向かって言う、

「分かりやすく説明してくれ」

という言葉は、正確に言えば、

「分かりにくさに立ち返ってくれ」

というものなのです。

 どういうことかというと、つまり、その分野でしか使われない専門用語だとかの類、記号的なものは、物事を分かりやすくするために用意されてきたもので、いちいち説明すると長ったらしくなってしまう事柄や、何と言ったらいいか分からない曖昧な物事を、スパッと簡潔に言い表すことを可能にしてくれているものなのです。

 ですから、専門家は、

「分かりやすく説明してくれ」

との要請を、その言葉通りに受け取れば、それら専門的な用語、概念を駆使して説明しようとしてしまうのです。それはもちろん、それが一番相手にとっても分かりやすいだろうという良心の故です。

 しかし翻って見て、その分野の人間ではない一般人は、その分野の歴史の過程で起こった、

「説明すると長くなってしまうことや、一言で説明しづらいことを、専門用語で簡潔に言い表すことが出来るようになった」

という進展を共有していないので、専門家にとって分かりやすいからといって、専門用語を使って簡潔に話され、簡潔に説明できるようになる前の、ごちゃごちゃしていた過程をすっ飛ばされると、逆に一般人は分かりにくいのです。

 それならばむしろ、原初の、専門用語などが発明されていない、ごちゃごちゃした、「分かりにくい」語法で語ってくれた方が、一般人には分かりやすいのです。

 つまり、一般人にとっての「分かりやすさ」と、その分野の専門家が思う「分かりやすさ」は全く違う類のものなのです。ここを勘違いすると、専門家は延々と、

「専門家にとっては分かりやすいけど、一般人にとっては分かりにくい」

語法で語り続けることになります。