憎かった人が老いて弱っていたときの、何とも言えない気持ち

 近所に、

「非常に怖い」

ということで有名だった爺さんが居て、何か我々が、マンションの敷地内で喋ったり、遊んだりしていようものならば、注意するぐらいならまだ良いものを、激しく怒鳴りつけてくるような人だったもので、我々の仲間内、子どもの間では、

「怖くて憎い存在」

ということで、大概は認識が一致するような具合でした。

 しかし、怒鳴られたことも随分前の話で、最近は、

「そういえば、あの爺さんを見かけることすらないなあ・・・」

とボンヤリ思うぐらいに、その爺さんには遭遇してすらいなかったのですが、ある日突然、その爺さんと顔を合わせることがあって、おそらく老いの為でしょう、まるで別人のように弱々しくなっている様を見て、心底驚いたのでした。

 「こんにちは」

とこちらが掛けた声に対しても、柔和に、そしてやはり弱々しく挨拶を返すばかりで、怖かった頃のあの姿はもうどこにもありませんでした。

 勿論、激しく怒鳴りつけられた思い出もありますし、怖くて憎い存在だった訳ですから、弱々しくなった爺さんを見て、同情の気持ちが起こったり、親しみの情が湧きあがってくるようなことはなかったのですが、かといって、

「弱々しくなって、これで一安心だ」

であるとか、

「弱々しくなって、良い気味だ」

というような気持ちも全く起きてこず、その代わり、

「そうじゃねえだろ」

というような、怒りとも、さみしさとも、喪失感とも言い難い、何とも言えない気持ちにさせられるのでした。

 私は、その爺さんに対して、

「あなたはずっと、怖くて、憎たらしい存在じゃなきゃダメじゃないか」

と直接言いたいような気持になりました。むろん、身体が弱々しくなった爺さんに言わせれば、

「勝手な注文をするな」

ということになるのでしょうが、それでも、そういうことじゃないじゃないか、という気持ちはずっと残るのでした。