死ぬということが、まるで分からない

 私は、いままでにいろいろと、「死」について書いてきたのではないかと思います。そして、何度か「死」について書くことで、なんだか「死」がどういうものなのか、少し分かったような心持になっていた部分も少なからずあると思います。

 しかし、先日、自転車に乗って外を気持ちよく走っているとき、ふと、

「あれ、今自転車をこいでいる俺はいずれ死ぬのか。いや、まるで分からないな・・・」

ということを思ってしまいました。

 勿論、観念として、

「人間は歳を取り、次第に老いていき、やがて死ぬのだ」

ということはよく分かるのです。また、実際に、祖父母などの身近な人の死に触れていますから、

「いずれ私もこうなるのだ」

という意識はどこかにずっとあるのです。

 ただ、今ここで生きている自分が、事実そのうち死ぬのだ、ということについては、皮膚感覚としては全く分かりませんでした。実感としてはむしろ、

「イヤイヤ、俺が死ぬわけないだろ」

ぐらいのことを感じてしまうのです。

 それは、自転車をこいでいたときに、あまりにも身体が心地よさを感じていた為でもあると思いますし(こんなに身体が快適なのに、死ぬわけない、と思ったのです)、また、今確かにここで自転車をこいでいる自分が、いずれ跡形もなく消え去ってしまうなんて、あまりにも現実的ではない、いずれ皆死ぬという当たり前の事実の方が、実は嘘なのではないかということを感じていた為でもあると思います。

 「どうせ死ぬんだから」

なんて言葉を、時に励ましとして、時に慰めとして、知ったような顔をして使ってきましたが、はたして本当に私は死ぬのでしょうか。そりゃあどこかで、

「死は絶対である」

ということは分かってはいるんです。ただ、今の実感としては、

「このままずっと死なないんじゃないか」

と思っています。

 また歳を取り、身体が衰えてくれば、自然と実感も変化するかもしれません。