何事に於いて、どうも私は急である

 おそらく、駆け引きなどというものに全く縁のない人生を送ってきたような気がする。物事には「時機」というものがあるし、相手側の、気持ちの準備という問題もあるから、駆け引きというものは必要だし、重要でもあるということは、知ってはいる。

 ただし、

「知ってはいる」

だけである。使ったことは、ほぼない(仮にあったとしても、記憶には無い)。

 当然、それ(駆け引きを使わない)によって失敗することも多い。相手が驚いてしまうからだ。それはそうだろう。私だって、相手に唐突に来られたら怖い。

 それでも、駆け引きを使うのは、何だか照れ臭くて、まわりくどくて、どうも嘘くさくて、耐えられないのだ。使ったことはないと言ったが、使いたくても使えないのかもしれない。

 しかし、不思議とそれで成功することもある。相手が受け容れてくれることが何度かある。また、たとい相手が受け容れてくれなくとも、駆け引き抜きに飛び込んでいくことそれ自体で、何か自分自身が開いたような実感を得られるので、結果的に後悔は少ない。または、後悔自体が無い。

 だから、おそらく今後もずっと、私は駆け引きをすっ飛ばすだろう。いつも急なのだ。それでいて、後悔は無い。