不安を分ける

 今、私は、少しずつ労働を再開していて、それと同時に、自分のやりたいことも淡々とやれていて、非常にバランスの良い生活を送れていると思っている。しかしそれでも時々、

「もっと急がなきゃ、焦らなきゃ」

という不安が頭をよぎることがある。

 ただ、この類の不安は、実は、

「私が持っている不安」

ではなく、

「親が持っている不安」

なのだ。親が常々、

「もっともっと」

と何故か私のことで焦っていて、それを日常的に聞かされている私は、自分自身は特に焦っていなくとも、その影響で時々、

「もっと焦らなきゃ」

という不安を自分の中に感じたような錯覚を覚えているのだ。

 親がこのように急かすのはおそらく、

「自分の子どもが、皆が乗っている規定のルートに乗っていない」

というところから焦りを覚えているためだと思う。気持ちは分からないではないが、冒頭で書いたように、私は徐々に自分のペースを見ながら進んでいるのだ。その場に止まっているのならまだしも、私が歩きだしているのに、執拗に急かしてくることは遠慮願いたい。

 と、このように、

「急がなきゃ、焦らなきゃ」

というのは「私が持っている不安」ではなく、「親が持っている不安」だと自分で分析して気づけているうちは良いが、怖いのは、その、

「親の不安」

を聞かされ続けているうちに、それが一体「私の不安」だったか「親の不安」だったのか自分の中で分からなくなり、必要以上に、

「急がなきゃ」

と思いこんでしまい、結果としてペースを乱し、またしばらくその場に止まってしまうという状況に陥ってしまうことだ。

 だから、頭の中を、ある不安がよぎった時は必ず、

「これは私自身が感じている不安か、それとも他者が感じている不安に影響されたものか」

ということを確認し、

「私の不安」

「他者の不安」

を分けて、「他者の不安」に関しては気にしないという作業を行う必要がある。