読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

伝わるかもしれないじゃない 伝わらなくても面白いじゃない

  『相手に伝わらなくてもいいんだと思って純粋さをつらぬけば、逆にその純粋さは伝わるんだよ』(岡本太郎・『強く生きる言葉』より)

 

 

 私は常々、

「異性を所有したい」

という気持ちになる意味が分からないということを書いている(もちろん、好きにはなるのだが、それが所有欲とは結びつかない)。そして、その考え自体に変化はないのだが、ふと、綺麗な人を見かけたときなどに、

『ああ、きっと、「所有したいという思いは無いけれども、好きですよ」などと伝えても、どうせ伝わらないのだろうから、皆と同じように、所有欲があるというのを前提として接した方が相手にとっても分かりやすいのだろうなあ、だいいち、説明するのも面倒だし・・・』

 というケチな根性、ひねれた気持ち、相手にはどうせ伝わらないという勝手な決めつけなどが心に浮かんでくることがある。

 

 でも、

「どうせ世間の方ではさ・・・」

というような偏見を自分が勝手に持っているだけで、もしかしたらその綺麗な人に限っては、

「好きだけど、所有したいという気持ちは起こらない。というよりそういった概念自体が自分の中にない」

という話が伝わるかもしれないじゃないか。何で、言う前から伝わらないと決めているのだろう。それは私が、

「世間の女性」

という、ある種の集合体みたいな存在が実際にあると勘違いしているからで、

「世間の女性」

という存在は、私の考えなど認めるはずもないと勝手に決めているからだ。

 でも、当たり前だが、

「世間の女性」

などという女性は実際には存在しない。ということは、私の考え方が伝わる人だって、それなりの人数存在するかもしれないじゃないか。

 それに、

「好きだけど、所有をするという概念自体が無い」

という考えが、相手に伝わらなかったら、それはそれで面白いじゃないか。そこから先に対話が生まれるかもしれない。

 本当は、伝わるとか伝わらないなんてことはどうでも良いのだ。それよりも、自分の考えを捻じ曲げて他人に接するのではなく、自分の考えそのままに開いていくことの方がよっぽど大事なのだ。

 傍目には悲惨に映るかもしれないが、正直に考えを告げて伝わらない方が、嘘を言って上手くやるよりも清々しいのだ。上手く行ったとしても、自分の考えに嘘をついていたら、どんどん元気を失ってしまう。