読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

特別感を、他のところで得られるならば・・・

結婚など

 3日前に書いたものの続きを、またひとつ書きたいと思う。

 私は、

「魅力を感じた相手に欲情する」

という性質を、「カップル」などの制度でもって不自然に制限していることに疑問を感じており、

「ルールは守りながら、もっともっと性解放して行くが良いじゃないか」

というようなことを常々考えている。それに対して、

「いや、いかに不自然であろうとも、これだけこの制度が力を持っていることには何らかの理由があるのだろう」

ということもまた考え、そして、その理由はおそらく、

「カップルになることで、相手は私だけのものだという特別感が得られる」

というようなものになるだろうと推察している。

 なるほどそうすると、性解放がなされてしまった社会では、カップルを形成することで特別感を得たいと思っていた人達の目論見が破綻してしまうということになり、反対に、カップルという制度が広まっている社会では、もっとオープンに関係を持ちたいと思っている人達が窮屈を感じてしまう、というような事になりそうだ。

 では、お互いが望ましいと思えるような、理想的で、丁度良い塩梅な、社会における性愛関係のあり方というものはないだろうか、ということを考えようとして、途中で終わっていたのだった。

 

 そして今、何かしらの解決策は無いかと思って少し考えてみたのだが、ひとつ、今はまだ、考えといっても思いつき程度のものであることをご承知願って、解決策の提示に入りたいと思う。

 それで、解決策はというと、

「社会の枠組みとしては、ルール(避妊であるとか、病気の予防)を最大限守った上で、完全に性解放するという仕組みを採用し、カップル同士は、性愛以外のところで特別感を与えあう」

というものになる。

 3日前にも書いたことだが、私は、カップルを形成しているとかしていないとかにかかわらず、

「魅力的な相手であれば、誰であれ欲情してしまう」

という性質を、人は元々持っている、という考えで、もしその考えが合っているのだとすれば、性解放(合意が存在し、ルールを守るのであれば、誰とでも関係を持つことが出来る)していくことは、多くの人にとって望ましいことだと思っている。

 だから、(私の中で)残る問題はひとつである。つまり、そういった社会にしてしまうと、カップル同士はどうやって特別感を感じあったら良いのかが分からなくなるという問題だけが残るのである。

 そして、そこを解決しさえすれば、本当に、性解放された社会へ、皆が変に欲望を縛り合わない社会へ向かうことが出来るのではないかと思っている。

 それでは、肝心の特別感を、性解放された社会で、どのようにカップル同士に感じてもらうかというと、前述の通り、

「性愛以外のところで」

感じてもらうということになる。どういうことかというと、例えば、ひとたびカップルになったならば、お互いの大事な宝物を交換するであるとか(やや子どもじみているが 笑)、「カップル成立の儀」みたいなものを取り行うなどして、性愛ではなく、そういう儀式的な行為を経たという事実の方に特別感を感じてもらうようにするということだ。

 そんなの無理だと言われるかもしれないが、

「性愛でもって特別感を感じる」

か、そういった、

「儀式的なものの方に特別感を帰属させる」

かは、考え方ひとつだというような気がしている。

 今の時代は、パートナーが、第三者と関係を持てば、

「浮気だ不倫だ!」

という話になるが、将来は、

「他の人と食事に行ったか、関係を持ったか知らないけど、あの儀式をあいつとやったのは俺だけだぜ」

ということになっているかもしれない。そして、そういった移行は、物事の捉え方次第で一瞬に起こるのではないかと思っている。

 それで、もしそういうようなところへ、特別感を感じる領域がズレていけば、性解放された社会と、カップルで特別感を得たいという人達の利害はぶつからずに済むということになっていけるのではないかと思っているのだが、そう簡単には行かないだろうか・・・。