「性欲しかない」と「ただやりたい」

 「性欲しかない」

という悩みを打ち明けると、

「何だ、ただやりたいだけじゃん」

と言われてしまうことがあるのだが、このふたつには明確な違いがあると思っている。

 性欲というのは、自身の内側から生まれてくる、いわば本能的な欲求であり、生理現象のようなものでもある。そして、

「性欲しかない」

という趣旨のことを私が言うときは、その短い言葉に、

「自身の欲望というものを確認したときに、どうも、愛だとか所有欲だとかいったものは確認できず、確かに自己の中に存在すると言い切れるのは性欲だけである」

といった意味を込めている。愛情だとかいう、存在自体不確かな、曖昧なものについては、私の中に存在するとは言えず、確信を持ってあると言えるのは、性欲だけであるといったような話を、

「性欲しかない」

の一言にまとめているのだ。

 対して、

「ただやりたい」

というのは、外部から与えられた刺激によって誘発された欲求であると言える。性欲が、自身の内側から来るのに対して、

「ただやりたい」

という欲望は、自身の外から来ているのだ。ちょうど、今まではそれを全く飲みたいとも思っていなかったのに、それについてのCMを見た途端に、

「これが飲みたかったんだよ私は」

と思うかのようなものである。

 つまり、

「こういうものがあるんだよ、良いでしょ?やってみたいでしょ?」

という外部からの刺激が加えられなければ、

「ただやりたい」

という欲求は出てこない。それに比して性欲は、外部の刺激を受けると受けないとに関わらず、既に最初から自身の内部に存在する。

 「何を言っているんだ。種の保存を成し遂げたいという欲求は、人間の本能じゃないか」

という反論があるのかもしれない。

 だが私は、おそらく人間は、性欲が本能的であるが故、それを解消するために自慰的な行為を、誰に教わるともなく模索することは出来ると思っているが、もし誰にも性交渉の仕方を教わらなかったら、一生、

「性交渉をして性欲を解消する」

という道を見つけ出せ得ないと思っている。