その事実自体は、善でも悪でもないのだが・・・

 事実として人間は、性交をして子どもを作り、何代にも渡ってここまで生命を繋いできている。と、その事実自体には、別に善も悪もない。ただそうやって繋いできたという事実が、そこにあるだけなのだから。

 では、そういう事実自体には善も悪もないから、種の保存には何のためらいもなく臨んでいける、そこに罪の意識は生まれ得ないかと言われると、そうとは言えない。というよりむしろ私は、種の保存に臨んでいくことは相当罪深いことだというような意識を持っている。

 赤ん坊は(その頃何を考えていたかは憶えていないから、正確なことは分からないがおそらく)、自らの意志で生まれてきた訳ではない。要するに、親に拠って、否応なしに突然、この世に誕生させられている訳だ。

 そして、誕生を頼んだ訳でもないのに、いきなり誕生させられたことで、おそらく誰ひとりの例外なく、人間は皆、

「一体、私の生とは何なのか」

ということで悩み苦しむ羽目になり、激しい孤独を覚え、ひとりで深い絶望を味合わなければならないというようなことになる。

 それらの苦しみを、おそらくこれからこの小さな赤ん坊が背負うことになるであろうことを、親は知っている。何故なら親も当然その問題に悩まされてきたからだ。かつては親も、小さな赤ん坊であった。

 つまり、新しい生命をここに誕生させれば、理不尽な想い、悩み、根源的な苦しみを、この新しい命が抱えることになるということを、経験的に知っていながら、なおその上で、意図的にこの世界へ生みだすというのが、種の保存なのだ。 こんな残酷なことがあるだろうか。

 だから私は、事実として人類がそのように生命を繋いできたということが分かってはいても、種の保存というものが、相当に罪深いものだという意識を捨て去ることが出来ない。