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アドバイスを見たって仕方がないよ 自分で付き合っていくより他ない

結婚など

 以前、『「好かれて、悪い気がする人はいない」という嘘』の中で書いたことに通ずるのだが、私は、人に愛されるということを上手く受け容れることが出来ず、それを恐怖に感じてしまうような所がある。

 もし、それが万人に共通する当たり前のことであったのなら、私はそこまで悩まなかったろうが、多くの人はどうやら、

「好きな人からでも、好きじゃない人からでも、好きと言われれば、そりゃ嬉しい」

という考えを持っているようだったので、私はよくこのことで悩んだ。

 それで、心理カウンセラーだか恋愛カウンセラーだか何だか知らないが、そういう悩みに対してアドバイスを送っている人達のサイトなどにも随分寄ってみた。

 しかし、個人差はあれど、その悩みに対する回答は大体、

『人の愛を受け容れられないのは、自分で自分を愛せていないから。自分のダメな所、足りない所もひっくるめて、まずは自分で自分を愛してあげて』

というところに落ち着く。

 言っていることは分かるし、確かにそれが正しいのだと思うが、『「考えたって仕方がないよ」というところまで掘らなきゃしょうがない』で書いたのと同じように、

「自分を愛せていないみたいだから、ダメな部分も含めてまずは自分を愛してあげて」

と言われて、それをそのまま実行に移せたら苦労はしないし、この問題で悩む人もいない訳である。

 それに、私が教わりたいのはその、

「ダメな自分をも愛する」

方法なのだが、方法について語られることはまるで無く、ただ、

「ダメな自分を愛してあげて」

とアドバイスされて終わっているのがお決まりなので、それらのアドバイスは何の役にも立たない。

 ただ、誰もその方法について語れないのはある意味仕方のないことなのかもしれない。何故なら、『中間がない』でも書いたように、もう既に、

「ダメな自分の愛し方」

が分かっている人は、何故ダメな自分を愛せない人がいるのかが分からないだろうし、仮に、

「ダメな自分の愛し方」

が分からない人がいたとしても、これは不思議なことだが、ひとたびそれが分かるようになってしまえば、

「何故今まではダメな自分を愛せなかったのか」

が急に分からなくなってしまうからだ。つまり、分かっていくようになる過程は、ひとたび習得した後は、人間の頭には残らない(あるいは残りづらい)のである。

 そうすると、

「ダメな自分を愛する方法」

について語れる人は誰ひとりいないということになる。ならば、他者のアドバイスを求めたって仕方がないし、他者にそこのところを求めるのは酷だということになる。そこの中間を摑める人はいないのだから。

 自身の問題には自身だけで付き合っていくより他ないのだろう。