黙って祝福する・・・のだろうか?

 『実は・・・結婚したんだ。そして、彼女のお腹の中には・・・』

これから先も、私が運良く生き続けていられると仮定した場合、友達のこのようなカミングアウトにいつかは出会うこともあるかもしれない。そのとき、私はどうするだろう。

 人間が新しい命を抱えるなんて、過ぎた行為だと分かっていながら、了解なく勝手に誕生させておきながら、親は子に恩を着せ、迷惑だと嘆き、納得のいかないことがあれば、言葉で、あるいは素手で、全く平気に暴力を加えるということを知っていながら、私は黙って、新しい命の訪れを静かに捉えることが出来るのだろうか。

 いや、黙っていられずに、

「それは、社会的には良いことなのだ」

という観念に迫られて、空虚な祝福をしてしまうのかもしれない。友達は、私の祝福の空虚さにすぐさま気づくだろう。だから、

「うん、うん」

と黙って頷いていれば良いのだが、黙っていることが、かえって私の複雑な胸の内を如実に物語ることになってしまいそうな気がして、黙っているだけではいられなくなってしまうような気がする。

 所詮人間には無理なことと分かっていながら、幾代も幾代も繰り返してしまう愚かさと、友人の前途多難さとをしっかりと見据えながら、

「おめでとう」

と軽々しく言ってしまうような気がしてならない。