幻想を拵える難しさ

 まだ自分の中でくっきりとした考えの形を取っていないのだけれど、メモ的にひとつ。

 幻想を、あるいは物語をと言っても良いが、それを自前で拵えることが出来たなら、生き良いということは確かなのかもしれない(むろん、それが絶対に必要かどうかにはいまだに疑問を持ち続けているが)。

 ただ、拵えていく作業段階で、何となく自前のものだと嘘っぱちさに頻繁に直面することになるだろうから、そのまま拵え上げるのは難しいだろう。

 そうすると、理想の形というのは、いつの間にか自身が納得できる幻想が外側に立ち上がっている(幻想形成に自分は関与していない)というものになりそうだが、既に自身の外に数多溢れる幻想形態を見ても、あまり馴染んでいきにくいところを思うと、自分とは関係のないところでひとりでに立ちあがったものに対しても、また違った嘘っぱちさを感じてしまうだろうと思う。

 そうすると、自前で意識的に拵えるでもなく、外部のものに馴染むでもなく、という条件での理想を探すと、

「自身の外ではなく内から、しかも無意識に近いところで拵え上げる」

というものになってくるだろうか。これはこれでまた、無意識というのは自己のコントロール外にあるものだから、そこで一体全体、意識をしないでどうやって幻想を拵えるんだという難しさがある。

 無意識の下で、私が意識的に拵えるでもなく立ちあがった幻想を、

「意識的に」

キャッチ出来れば良いのだろうが、その手掛かりは寝るときに見る夢だという話に安易に繋がってくるだろうか。夢は無意識の下での幻想の拵え手となり得るであろうか。いずれにしても難しいということだけは分かる。