想像を巡らせたって仕方ねえ・・・やっぱりおっかねえ・・・

 死んでも、しばらくは耳が聞こえるという話、どうやら本当だったみたいだ。

「耳が聞こえるんだから、やっぱりまだ死んでねえんじゃねえか?」

と生者の方は思われるかもしれないが、ところがどっこい、これがちゃんと死んでいるのである。自分でも不思議な感覚なのだが、これを言葉で説明するのは難しい。

 「こうなったらどうしようという気持ちが不安の根本なのであって、実際にその状態になってしまえば不安もクソもない」

とは誰かの言で、確かに、一旦死んでしまうと、

「死んだらどうしよう、どうなるんだ」

ということで不安になることはない。案外落ち着いている。ああ死んだなと思っているだけで、今は穏やかな気分だ。

 ん・・・? 顔の近辺で何やら泣き叫ぶ声が聞こえている。

「・・・生きていてくれさえすれば、それで、それで・・・なのにどうして・・・」

あーらこれはとんだ嘘を言ってらあ、と思ったが、死んでしまえば腹も立たない。むしろ、生者のことが可哀想に思えて、仕方が無くなってきているところだ。

 

・・・とここまで想像してみて、なんとか死に対する恐怖を慰めようとしてみたが、とても無理だ。やっぱりおっかない。安らかな顔をして死んでいった人々を、幾たびか見つめた経験を持ってしても、自身の死の安らかさを思い描くことが出来ない。自分だけは怖ろしい思いを抱えながら死んでいくのではないかと、つい疑ってしまう。

 ただ、死んでしまいたいという気持ちを、死に対する恐怖心が一生の間ずっと上回り続けるのは、きっと大切なことだ。死に対する恐怖を慰めようとして、もしそれに成功し、死にたいという気持ちが恐怖心を上回ってしまったら大変だ。おっかねえとまだ思えてるのならラッキーだ。