苦しみが分散する

 「他人の不幸は蜜の味

なんてことが言われる。言わんとすることは分からないでもないが、私が他人の不幸を目撃したときに感じる気持ちとは少々違うようだ。

 例えば、何か私の方でひとり、苦しみを抱えていたとする。そういった状態で周りの人達の楽しそうな雰囲気に触れると、私の苦しみはより一層私の身体の中だけに閉じ込もるように感じられ、そこから、

「苦しいのは私ひとりだけなんだ」

という妄想が生まれ出し、どんどんとその苦しみは悪化していく。

 ところが、そういったときにふと、他人の不幸を目の当たりにすると、私のところだけに留まっているように感じられた(錯覚していた)苦しみが、外にパーっと分散していったように思えて、身体が少し楽になるのだ。

 これは、他者の不幸を目撃したときに、

「嬉しい」

と思ったから起こったことではない。ただ、私だけに乗っかっていると錯覚していた苦しみが、他の人にも乗っていることを知って、

「何だ、他の人も一緒じゃないか」

と純粋に思えたからこそ起きたことなのだ。

 このときの、身体が楽になっていく感覚というのは、

「他人の不幸って、何て甘い味がするものなんでしょう」

と思う感覚とは大分異なる。