隅々にまで溶けていく

 少し前に、『知識というより皮膚感覚』というものを書いたのだが、皮膚感覚の体得については、いまいちよく分からないし、もう既に体得している人であっても、

「どうやって体得できたか」

についてはよく分かっていないのではないだろうか、というように思っている。

 我々は、相手の心の中の気持ちを直に感じ取ることは出来ない。

「本当に嬉しいよ」

と、全身で喜びを表されても、根底から本当に嬉しさを感じていたのかどうかは一生知ることが出来ない。

「あんなに喜んでいたのだから、本当に嬉しかったのだろう」

という想像を巡らすことが出来るまでだ。

 だから、相手の芯から望むとおりの気遣いを全ての場面で果たせる人など、まず存在しないだろう。その人と、完全な同体にでもならない限りは。

 もちろん、人は生まれて後、誰かと完全な同体になることなど出来ない(特殊な例を除いて)。しかしここで、性的接触を持ちだして考えてみる。接触、しかも手のひらが触れ合うなどといったことより遥かに深い結合をもたらすこの行為によって、両者の肉体はほとんど同体に近くなる。

 完全に同体になる訳ではないが、限りなくそれに近づくこの接触によって、精神の方面においても、相手の深部にまで近づくことが出来るのではないか。相手の髪の毛の一本一本の呼吸までが、私の皮膚と地続きであるという過程を経ることによって、人は相手の皮膚感覚の一部を得る、深部の縁にだけは触れるのではないか。

 皮膚感覚の体得というのは、その結合によるタイミングと同時に起きてくるのではないだろうか。