心地良いんだけれども、家が無い

 以前、『幸せな境地を静かに受け容れることが一番難しい』というものを書いたのだが、未だに、無条件で全面的に受け容れられることには抵抗がある。この抵抗を緩やかにしていくのが私にとっての修行なのだ、と思えるほどだ。

 通常なら、

「環境的に逆境にあって苦しいんだけれども、そこに留まらざるを得ない、あるいは、そこにあえて留まってでもやり遂げたいことがある」

というような状況が修行としてイメージされるであろう。しかし、私はそこに以前から、年月をかけてコツコツと建設せざるを得なかった家を持っているから、あんまり修行の場としてそのような環境を捉えることは無い。

 それよりもむしろ、

「環境的にも素晴らしいし、苦しみなど何処にあると言うのか」

というような状況の方が、私に修行の材料となるものを存分に提供してくれる。私はここにいると逃げ出したくて仕方のないような気持ちになる。確かに居心地は良いのだが、ここには家が無いのだ。柱の一本さえ立っていない。なので、この境地に安住してスヤスヤと眠ることが未だに出来ないでいる。

 とにもかくにも、まずは柱の一本から始めなければならない。