どうしても、なら止めない

 「いや、そこは後一歩押せよ」

あるいは、

「いや、止めろよ」

と、自分で選択したにも関わらず、私がそれをそのまま尊重すると怒る。冷たい奴だ、と。

 しかし、

「人間は、ひとつの小宇宙である」

などという大仰な台詞を吐くまでもなく、人間ひとりの存在というのはとてつもなく重いのだ。そこに、他者である私が、ましてや個人の出した結論などという内政不干渉地帯に土足で踏み込んでいくことなど、とてもじゃないが出来ない。個人が考えに考えを重ね自分で出した結論は、それだけ大事なものなのだ。

 だから私は、そういった他人の、

「どうしても」

の考えの領域に侵入しない。それは個人を踏みにじる行為でもあると思うから。

 反対に言えば、

「どうしても」

で出した結論に対して、その実、心の隅では私が止めてくれることを願っているなどというのは、自分が考えに考えたという事実に向かっての、自分自身の尊重が少し足りないのではないだろうか。それだけ考えた末に出した結論というのを、まずは自身で尊重してあげてほしい。私はその領域に踏み込む資格はない。