「かのように」再読につき~父親との問題~

 『所詮父と妥協して遣る望はあるまいかね。』

久しぶりに『かのように』を読んだ。今回の読書で気になった点は冒頭の台詞、むろん秀麿の台詞なのだが、秀麿は、自身の、

「かのようにの思想」

が、父親に危険視せられることをやけに怖れている。何とかそこのところで平和的解決をつけない限り、自身の仕事(国史)は進められないと考えている。

『それも世間がかれこれ云うだけなら、奮闘もしよう。第一父が承知しないだろうと思うのだ。』

と述べているほどだから、その注意の払いようには相当なものがある。

 私は、改めて一通り読み返してみても、秀麿がこれほどまでに父親との平和的解決の如何を重大事と考えている理由を、結局理解することが出来なかった。友人の綾小路が言うように、

『構わずにずんずん書けば好いじゃないか』

と思ってしまう。

 第一、既に挙げたように、秀麿は、世間に対しては、

「かのようにの思想」

を打ち出すことになろうが、それは奮闘すると言っているのだから、自身が拵えた論に対する自負はいくらもあるはずなのだ。その、自信のある主張を、世間に問えて、何故父には問えない、という疑問が拭えない。

 自身の思想が危険ではないと考えるなら、そのままを、世間にするのと同じように父にも問うたら良いではないか。世間が納得して、自身が納得していても、父が納得していなければその思想は依然として危険だとでも言うのであろうか。それでは秀麿が懸命に拵えた思想とは何なのだろう。

 いくら、

「かのようにの思想」

が危険ではないという自負があっても、その過程で父との平和的解決が見られていない限りは、その辿った経路が危険であるという限りにおいて、それは危険思想のひとつだとでも言うのであろうか。

 そうすると秀麿は、父親というひとつの基準を、

「何か無視できない大きなもの」

であるかのように扱って、その前に敬虔に頭を屈めているのであろうか。しかしそうだとしたならば、自身の思想にこだわる必要もないだろう。父親に常に従っていれば良いだけのことなのだから。

 ただ、どうもそうではないような気がしてならない。秀麿の中で、

「かのように」

は揺るぎのないものになっているように見える。では何故・・・。堂々巡りだ。考えれば考えるほど分からなくなる。