「まだ早い」も「もう遅い」も、他人の視点

 『全うするとは・・・』で書いたことに繋がるのだが、あらゆる、

「まだ早い」

「もう遅い」

は、他人の視点だろうということを考えている。

 それは、別に他人から言われるという意味に限らず、自身が自身に向かって言う場合も同様だ。つまり、主観的な自己だけだと、

「まだ」

とか、

「もう」

とかはまるで分からない、そもそも見えてこないのだと言える気がするのだ。

 「まだまだこれから」

だとか、

「もう遅い」

だとかを誰かに言われても、自分のことだと全くピンとこないのに、他人については、口にするかどうかはともかく、

「まだ」

とか、

「もう」

とかが比較的スムーズに頭に浮かんでくるのが不思議だったのだが、なんとなくそれについてのとりあえずの説明がつけられたような気がする。