手紙、あるいは書き置き

 『○○へ。 今お前、つまり俺は何歳になっているのだろうか。ともかく、手遅れになっていないことを願って、この手紙をお前に残しておく。

  良いか、結婚だけはするな。もし万が一してしまったとしても、子どもだけは授かるな。今の俺の頭では、残念ながらそれが善であるか悪であるかを判断しきれずにいるが(もっとも、今後何十年考え続けたところで、この問題には明確な答えを出せないとは思っている)、とにかく、子供を授かるという一連の行為が、どれだけその当の子どもにとって理不尽な暴力としてのしかかることになるか、ということだけは理解している。

 もし、それでもどうしても授かりたいと思っているのならば、それがいかに凄まじいエゴイズムであるのかを己に問い続け、それに自分自身で屈しないかどうかをよく確認しろ。もし屈してしまうのならば、踏みとどまれ。何故なら、そんな覚悟ならお前に、いや、子どもにとって不幸な結果しか生まないからだ。もしその問答を乗り越え、結果的に子どもを授かるとしても、

 「自分の人生だけでは乏しいから」

 「寂しいから」

 「子どもを持たないなんて何の為に生きているのか分からない」

 「彼女が可愛くてつい・・・」

といった、子どもには何ら関係のないところで発揮したお前のエゴによって、有無を言わせずその世界に子どもを巻き込んだくせに、

「育ててもらって有難いとか、感謝の気持ちだとか、そういうのが少しもないのか」

と言うような人間にだけはなるな。誰も見ていなくても、俺が見ているぞ。

 おい、今ここまで読んできて、

「じゃあ一体どうしたら良いんだよ・・・」

と、抱えた子どもを前にうろたえ、血迷って手に掛けるような真似だけはするなよ。そんなのは数ある暴力の中で最も野蛮な行為だ。誕生と死滅を両方とも暴力で圧するような真似だけは絶対に避けろ。もし既に子どもを授かってしまっているのなら、お前は水分が飛んでカスカスになるまで己のエゴと向き合い続け、子どもに干渉をせず、助けるべき場面でだけ手を貸し、常は遠くから、あくまでも遠くから邪魔にならないように見守ることだけを考えろ。

 取り敢えず、書き残しておきたいことはこれで終わりだ。おいお前。俺が過去のお前だからもう存在しないんだと思って安心しているんじゃないか? 俺は見てるぞ。 俺だけは見逃さないぞ。』

 

 男は冷や汗を大量に流し、手をぶるぶると震わせながらその場に立ち竦んだ。ちょうど、この手紙から十年。書かれているような何もかもを、幸福と快感との中で忘れ去り、彼女の懐妊を無邪気に喜んだ、その翌日のことだった。