「深く定着したこと」と「単に思い出さなくなったこと」の、表面上の区別がつきにくい

 毎日のように繰り返している動きは次第に習慣となり癖となり、わざわざ思い出して確かめる必要もないぐらいに深く定着する。よって、それを忘れず毎日やっているかどうかなんてことを、だんだんに思い出しづらくもなってくる。それだけ当たり前になってしまっているということだ。

 しかし、それならそれで別に構わないはずなのだが、一応何がしかの熱意をもって計画的に取り入れたはずの事柄を、あんまりいちいち思い出さなくなる、当たり前になった結果として思い出しづらくなる、というのは、それはそれで不安なのだ。

 「思い出せない」

という現象だけに着目すると、それは、

「自分にとってあまり関心がないことだったから、自然に思い出さなくなっていった」

という状態と何ら変わるところがないから、

「ひょっとして、それら計画を思い出しづらくなっているのは、関心の薄れた結果なのではないか・・・」

とつい考えてしまうのだ。

 当たり前になって、特段意識的に思い出す必要のなくなったことは、有難いと言えば有難いのであろうが、どうも不安だ。