経験する前にある程度分からないとしょうがないのではないか

 何事も経験が大事。経験に勝るものはない。もちろん、ある場合はそれで正しい、その通りだとなるだろう。しかし、

「何事も」

経験してみなければ分からないほど、理性の堕落した状態というのもないのではないか。つまり、

「経験する前にある程度は分かる力がないと、どうしようもないんじゃないか」

と思っている。

 これが例えば、本当にまだよく分かっていないことで、事例もまだ少ないものを、他の人に先んじて試してみるというのなら良い。ただ、沢山の先例があって、それを元に自分である程度是か非かを考えることが出来るもの、もっと言えば、

「どう考えたって悪いに決まっている」

と直感できるものについて、

「いや、でもまだ試したことないから・・・」

といって飛び込んでいくことほど愚かなことはない。

 本当に何事も経験してみなきゃ分からなかったのなら、人間なんてとっくに滅びていたはずだ。経験しなくとも、

「これはまずい」

と気づいて留まる力があったからこそ、何とか今まで生き長らえてきたのだろう。

「これは本当に経験してみなければ分からないことかどうか」

を考えることはいつでも必要なのに、それを

「何事も経験」

という言葉で包み込んで、考えることを放棄するようなことになってはいけない。