彼との関係を択んだほうが良い

 女の人に対してはどうも甘い所があって、それは何でも許せるという意味ではなくて、人物判断を行うときに、知らず女の人の場合は2~3割増しで良い方へと判断してしまうということだ。その人に対する悪い評判を伝えられても、

「まあそれは一面であって、実際はそこまで悪くないんじゃないか?」

と、勝手に肩を持ってしまうようなところがある。要するに、争えないところで実に好きなのだろうと思う(好みは勿論あるのだが、それでも全般的に好きなのだと思う)。

 そういったように、

「私はそれだけ好きなんだな」

と自分で思っていればそれでゴールなのだが、どうしても、

「主観的には」

などという要らぬ補足を施して、

「客観的に見ると、そこまで好きな方とは言えないのかもしれない」

というような意味不明の言説を弄さざるを得なくなるような場面に出くわすことが幾度かある。執心が違うと思わされるのだ。

 大学時代に、会って二言目には女性関係の進捗状況を尋ね、それに対して例えば私などが、別に際立って何もしていないと言うと、

「じゃあ、何のために生きているんだ?」

という表情をすぐ浮かべるような人物がいたのだが(この時点で、大分私とは、「女性が好き」という程度に隔たりがあるのだなと感じさせられた)、ある日彼は、まだ付き合ってもいない、自分のことを好いてくれているのかも曖昧な女性の為に、まだ約束も取り付けないうちからデートプランを3パターンも用意していることを私に話してくれた。

 まあ、おそらく、

「Aパターンは映画で、Bパターンは水族館で・・・」

程度のものだと思っていたから暢気に聞いていたのだが、なんと彼は、当日会ってから夜に別れるまでの綿密なスケジュールを3パターン全てにおいて組んでいたのだった。

 それぐらいなら誰でもやるよと言う人もいるかもしれないが、私はもう既にここで、

「とてもじゃないが、そこまでするなんて考えられない」

という心境になっていた。が、驚いたのはその先である。彼は、その綿密に組まれたスケジュールを逐一辿る下見をもう行ってきたと言うのである。それも3パターン全部。

 「デートの承諾を取り付けられなかったら?」

という問いかけが無意味に思えるほど、彼の行動力は凄まじかった。

 私はこのとき、好きの濃度について考えざるを得なかった。彼に比べると、自分はそこまで女性が好きではないという結論を引っ張って来るより仕方がなかった(日常の隙間にパッと女性の存在を思いだすぐらいのものなのだが、それでも「個人的には」大好きだと思っている)。

 もし今後、彼のような人物と、好きになった女性が被るようなことがあったら、私は即座にその場から撤退するだろうと思う。彼のような人物に迎えられた方が幸せなことは、火を見るより明らかである。