淡々と最期まで

 いつが最期になるのか分からないが、悲劇を望んだり、派手な祭りを望んだりしながらも、それにどっぷりとは浸からず、染まらず、淡々と生きていけるのかという不安と、いや間違いなくやっていけるだろうという自信と、物足りなさと満足とをごちゃまぜにしたものを感じている。

 淡々とした日々は退屈に映るであろうし、事実退屈を感ずることもあるが、悲劇や祭り的興奮に包まれるほどの退屈さは感じない。つまり、1番贅沢な生活をしているのであろうが、慣れるとそれが贅沢であるのかどうかを感じる力が麻痺し、終いには見失いそうになる。

 ただ同じ速度でひたすらと歩くことに優る興奮は、快楽はあるのだろうか。その快感を常に捉えられる技術さえ向上したならば・・・。エモーションと繰り返し続ける歌を聴こう。