本当という誘惑

 嘘っぱちの感覚について書いてきたが、一旦ジタバタしなくなったからといって、それでもうずっと安心という訳ではなく、

「本当という誘惑、幻想」

は、常に私を捉え続ける。この誘惑に対するに、

「本当の、というのは無いんだ」

と頑張るだけでは駄目で、そのうえで、憂鬱さ、怠惰の情を大事にし、自分のものにしていかなければならない。憂鬱さによってもたらされる感覚が、嘘っぱちの感覚から飛び出していくことを防いでくれている。嘘っぱちの感覚により良く親しまねばならない。それぐらい、

「これをやるのが本当の人間あるいは、これをやらないのは本当ではない」

という幻想のもたらす力は強い。