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当てはまらない人がいない

 報道された出来事、特に犯罪などはえてして大きな関心を引くから、次の日の雑談のテーマになる確率が高い。

 しかし、話題に上ることが多いからという理由ではなく、そういう輪の中に入っていくのは苦手だし、聞いていると、とても嫌な気持ちになる。周りの人は、別に私を責め立てている訳ではなし、むしろ一緒に憤慨してくれる仲間だと考えて話を切り出してくれているのに、なぜこうも苦手だと感じるのだろう。

 最初は、犯罪者と決まった人に対して向けられる、日常世間の人の残忍な目がその主な理由なのだと思っていたが、それは小さな理由の中のひとつで、最も肝心なのは、話が、

「犯罪に及んだことそれ自体を非難する」

ところで終わるのならともかく、ほとんどの場合、最終的には犯罪者の性格、気質、趣味などにまで攻撃が及ぶからという理由であることが分かった。

 というのも、犯罪を実行するか否かには一応の大きな壁があるけれども、こと性格だとか趣味だとかいったものは、容易にその壁を乗り越えて、自分のところへ直接に繋がってくることが多いから、そういうところにまで攻撃が及ぶと、まるで自分が責められているように感じて辛いのだ。

 それに、日々起きる事件によってコロコロと、

「一見普通そうに見える人、普通な人が危ないのよ」

とか、

「危ない見た目をしてる人はやっぱりそういうことをするのね」

「あんな、いかにも事件を起こしそうな暗い人・・・」

「明るく振舞ってる人は怪しいわよね・・・」

などなどの言葉が、矛盾もなんのそので平気で使われているが、そんな挟み方をしたら、それらの条件に当てはまらない人間などいなくなるのだ、ということにつき、そのような決めつけを行う当の本人は気が付いているのだろうか。それではまるで、日々の発言によって、自分で自分を、

「犯罪者と何にも変わらない人間」

と糾弾しているようなものではないか(いや、実際のところ、実行するか否かだけがそこを分けるのだが、それにすらも気が付いていないだろうか)。

 しかしまた、何が怖いかって、人のことを好き勝手に決めつけているときは、まるで自分には、あらゆる性質(特に、非難されるような性質)も備わっていないかのように感じる、つまり自分が、人間ではない何かもっと高尚なものになったかのような感覚に陥ってしまうということなのだ。だから、人間のあらゆる諸特徴を上げて非難してしまったら、それが巡り巡って自分に返ってきてしまうということに気が付けない。

 噂話が、何故際限もなく、飽きもせずに繰り返されるか。自分も、今さっき勝手に断罪してきた人々と同じく、様々な諸特徴をもった人間なのだ、ということに、延々と気が付かないでいるためだ。