損得勘定が稀薄

 以前にもどこかで書いたが、あまりにしけた面をしてぽつねんとしているからか知らないが、

「生きていて楽しい?」

と訊かれることがたまにある。そしてこれまた以前に書いたように、楽しむ為とか、人生が楽しいか否かで生きている訳ではないから、そんなことは大して考えたことがなかった。

 それと関係するような気がするのだが、

「せっかくの人生だから」

とか、

「楽しまなきゃ損だよ」

という類の、いわゆる損得勘定というものが、あまりにも稀薄である。楽しまなきゃ損だよと言われても、楽しんだら楽しんだ分だけ、老年期の悲惨さが際立つかもしれないし(もちろん、そういうことばかりとは限らないだろうが)、せっかくの人生だから、長いこと楽しまなくっちゃと言ったって、若いうちに死ななかったばっかりに、その後の人生嫌なことばかりだったということも大いにあり得るだろうな、と思ってしまうのだ。

 それに、よくそんなに簡単に、物事の損とか得とかが見分けられるなあ、と感心してしまう。私なんか、結局何が得になっていて、何が損になっているのか、自分の人生を振り返ってみても一向よく分からないし、損とか得とかを馬鹿にかっきり2つに分けられるような事柄を、どうしても見つけることが出来ない。

 また、ポッと何も分からないまま出てきて、そのうちに気づいたらまたすぐ死んでしまうのに、損も得もありゃしねえじゃないという気持ちもある。損とか得とかって、本当にあるのだろうか。