<50>「楽しいことの毒」

 楽しさを抑制することを考えなくてはいけないのではないか。楽しさを享受するなというのではない、楽しいと思ってはいけないというのではない。楽しむのは別に、充分に楽しめばいい。つまり、楽しさの表現、外側への流出の過剰を少し考えてみなければならないのではないか、ということだ。

 何か不適切な行動、例えば差別やリンチなど、改善がどうとかいうことが言われるとき、あまりにも、

「人間としてちゃんとしましょう」

という話で片付けられ過ぎている。それも別に間違いではないのだろうが、より注意されなければならないのは、そういった暗い楽しさの表現に際限がないということの方だと思う。感情は、結果的に外に出るのを防がれるにしろ防がれないにしろ、動くだけは、自身の内部で理性という枠を平気で無視して動いてしまう。だから、胸の中に暗い楽しさが宿り、躍動してしまうこと自体を非難しても、その人だって自分にもどうしようもなかったりする。そうではなくて、

「現に感じてしまっているんだし、楽しいんだから仕方がないだろ」

といって、平気で外側に暗い楽しさを溢れさせてしまうことの方に問題はある。だから結局は、

「ちゃんとしましょう」

というところに行き着くのだとしても、その前に具体的な話として、

「楽しさの外側への流出を慎みましょう」

ということを念頭に置いておく必要がある。楽しさは自身の内側で充分に感じていればそれでいいのであって、外側への過剰は、暗い楽しさに限らず、それが純粋な楽しさであっても、見ていてあまり気持ちのいいものとは言えない。