<107>「自分に付き合う」

 この私、というものに囚われていてはまだまだだ、という話は分かるが、この私、というものにもう囚われていないと勝手に考えるのはまたそれでいけない、自分の問題などからは去った、自分などはもうどうでもよくて、もっと広く広く見ることが出来ていると考え、国、ひいては世界などと一体になったように、完全に溶け込んだように思えていたとき、とても楽だった、むろん、力が抜けているあるいはリラックスしているという意味での良い楽さではなく、楽をしている、格好つけて言えば、知的に怠惰になっているような楽さを感じ、これはいけないと非常に強く感じた経験があったのだ。結局去れていない、去ったことと去ったと思い込むこととは違うのだ、そうして、全く何からも去れていない自身に戻ってきたとき、案の定辛かった、何か、社会そのもののような顔をして堂々と偉そうに物事を言おうとしても、自身に戻ってきてからは、お前はどうなんだ?という問いが常に浮かんできて、とてもじゃないがそんな偉そうなことを続けることはできないと思い、自然そういった言動は自分の中で挫かれるようになった。やはり去ったつもりではなくしっかりと去るためには、去れていない自身というものと徹底的に付き合っていくほかないのだろう、まだまだもいいところだ。