<135>

 電源ボタンを押すと、テレビだとか音楽プレイヤーだとかが一瞬で切れる、この寂しさ、現実感の物凄さというのはちょっとほかにない、一番現実らしい現実に思える。であるから、つまんないなあと、飽きたなあと点けているときに思っていた場合ですら、消すことを相当にためらうようなことになる。もっと現実的な瞬間、例えばとても楽しかった、嬉しかった瞬間だとか、辛かった瞬間とかがあっただろう、と思われるかもしれないが、それらはよく言われるように、まさに、

「夢のような(あるいは悪夢のような)」

時間であり、現実感とは程遠い。

 その一瞬のシャットダウン、それは大袈裟に言えば、人生に酷似している、つまり、人生とはあの中で演じられる物語ではなく、そんな進行にはまるで関心がない、関係がないと言わんばかりのぶち切りのことを指すのだ。物語ではなく、物語などには関係がないところでのぶち切り。人生には夢があると言っても、ないと言っても、そんなことは分からないと言っても、問答無用で突然切れる、それは意味と言い換えても物語と言い換えても希望と言い換えても全て同じことだ。俺は限られた人生を目一杯楽しむよ、楽しまない奴は馬鹿だねと言っていたって急に切れるし、この世は無意味だ頑張っている奴はお目出度いねと言っていても切れるし、どっちにしたって突然切れることに戸惑い、錯乱が行くところまで行っていたって切れる、そういうものの暗示、あまりに直接的すぎる暗示のように思えて、ボタンを押す手が止まる、見るものもないけれどしばらく点けておこうか・・・。こちらが何を考えていようが関係ないのだ、それは映るもの、映すものの否定ですらない、ただの断絶なのだ。

 どうもゆったりとしているようにしか普段は感じられないのに、非常に素早い瞬間的な世界に(世界にもと言った方がいいのか)生きていたことを知る、それが死だ(他人のそれによって知るのだが)。嬉しすぎることや悲しすぎることは、ちゃんとした現実でありながら、あまりに現実的でない、現実感が稀薄なものだから、求められるし、語られる。一瞬の断絶のような過酷な現実、あまりに現実的過ぎるものは、どう受け止めたらいいのかが分からない。