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 困惑していると、ひとつポーンと投げてしまえば良いのではないだろうか? 食べ放題のように、元を取ろうと奮闘するものとして生が現れてきたことがないというか、そういうものに見えてきたことがない。折角とかの言葉と生がどうしても結びつかない(「折角生まれてきた・・・」とは、はて何であろう?)。楽しみ切るという幻想が、徒に強迫神経的なものを煽っているような気がしてならない(「楽しみ切った」とこちらで勝手に決めるだけであり、生きている以上それは身体的実感としては現れ得ないはずだと思っている)。しかし楽しみ切るという幻想は苦しさである以上に希望でもあるから、

「使用できるものが無数にあるのに、それを可能な限り沢山使用しないのは勿体ない、という形で生が現れたことはないし、身体がある以上は仕方がないのだが、どんなにやり切ったと思い込もうとしても、いつも何かが残っているような気がするから困惑している」

とあまりに正直に表明してしまうのは、希望も何もないことによって、他人の不快感を著しく刺激することにもなる。空を切ると最初から分かっているボールなど見たくもないだろう。何かが足りないという感覚、それはあれとこれと・・・と積み重ねていけば最終的に満たされるものなのではなくて、身体構造の都合上、どうしても生じてしまうもの、生涯除くことのできないものなのではないかという気がする。