<140>「風景ではないという不安」

 どこに行っても自分だけが本当ではない気がするのは、目の付き方、その方向が問題だという気がしている。つまり、結局それは誰でもそうなのだが、自分以外の人の目は全てこちらに向かうことが出来、自分の目だけがこちらに向かうことが出来ない、というところに由来するのではないかと思っている。その人が孤独な人であるとか、比較的大勢の人に囲まれた人であるとかは、従ってあまり関係がない。目の付き方、向きというものが、周りのもの全てを風景に仕立て上げ、反対に自分自身を、映さないという仕方で(映せないというあり方で)風景から遠ざける。因って、自分も風景の一部なのだと芯から納得することはおそらくない(修練によって越えていくこともあるのかもしれないが、それはまだ私にはよく分からない)。同じ風景であり得ないという不安は、つまり物質的なものから来ているのではないか。