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 平和も危機である。それは全く穏やかな状態というのに耐えられない部分が少なからず誰しもにあるからだ、というようなことを以前書いたが、穏やかな状態というのに何となく我慢ならないところがあることと並行して、強烈な経験と、「本当」という観念とがあまりにも容易に結びついてしまうという問題がある。強烈な経験というものを否定する訳ではない。強烈な経験は強烈な経験だ。だが、その強烈さ故に、尋常な、平凡な経験は本当ではないのではないかと考えたくなる誘惑に駆られる。これは良くない。経験に、本当であるとかないとかの区別はない、と頭で考えて言うのは簡単だが、実際に、その経験が強いということは、当人に大変な影響を及ぼす(これが本当ではないと言うのか? だって、これだけ強烈で、手応えがあって・・・。日常の生活にはこんな衝撃はまるでないではないか・・・)。

 平和が時に、

「平和でいいねえ・・・」

という形で嘲笑、軽蔑の対象となるのは、おそらくその渦中に強烈さというものがないからであろう。どこか他のところでなまじ強烈な体験を経ていると、平和状態を「ぬるい」ものと見たくなる、あるいは無意識に見てしまう。そうして、表向きは皆で目指すべき目標だと言いながら、常に底の方では、

「とは言ってもここに居ちゃあいけないんじゃないか?」

という意識が働いてしまう矛盾が起こる(最も平和に生活している人でさえこの矛盾は少なからず抱えているだろう)。経験の強さを求めることは必ずしも悪いこととは言えないが、強い経験を「本当」だとして、その他の経験の軽視を始めることは、明確にまずいことだと言えるのではないか。