<154>「根本問題」

 散々問われているからこの問題はもう終わり、問うても仕方ないし、問うならば違うところを問わなきゃ、で動いていこうがどうしようが、その散々に問われた根本の根本が、依然として切実なものであり続けていることは変わらない。先にいろいろな人が問うていたとして、その軌跡を眺めても、その運動を自分が経過していないなら何にもならない。つまり自分の手足を使って、もう一度初めから、切実であるならば(あると思うならば)、問うてみなくては、ならないという訳ではないが、例えば根本の切実なることが痛切に感じられているのにもかかわらず、非常に沢山の人が既に問うてきたからという理由で、問題を横にズラしていく、違う方向へ拡げていくということをしていると、おそらく徒に(必要があってではない)問題をグチャグチャにして、分かりづらいものにしてしまうことになる。あんなことこんなこといろいろに手を出しても結局のところ、問題はひとつである、何だこれは、と・・・。